2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その4

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 当日を迎える迄に、何回か、番組製作会社の方と連絡、打ち合わせをした。

 自分の役割はたぶん当時のネットでつながっていた仲間の人たちに、人を大夕張に集まるお願いをしたというところだろうか。

 先にも書いたが、どんなことを打ち合わせて、自分が何をしたのかはすっかり忘れてしまった。

 それでも、自分も含めて、『大夕張でのロケ参加』ということに、みんな熱くなり、そこに向かって全体が進んで行ったようで、自分もその流れにのって、進んで行ったような感じだったことは覚えている。

 

 一度、番組製作の方と、実際に会って打ち合わせをしたことがあった。

 地下鉄宮の沢駅近くの札幌市生涯学習センター「ちえりあ」の一階にある喫茶店で、番組の進行予定表を見ながら、2時間くらい話しただろうか。

 

 その番組進行予定表は、今思えば、実際に放送されたものとは、けっこう違うものだった。

 ここで、お見せするのもおもしろいと思って、そのつもりだったのだけれど、残念ながら探して出てこない。後日、見つかったら掲載したい。

 

 当日の1時間半の番組は、〈視聴者参加ドラマ〉として、新しい形で放送された。我が家の衛星アンテナも、このためにつけた(たぶん)。

 

〈大夕張〉以外の部分は、主人公のふるさとへの気持ちに寄り沿ってドラマが進み、途中で質問がでて、それに視聴者が答えるみたいな形だったと思うが、その仕組みがよくわからず、正直、他のパートは、ほとんど覚えていない。

 

 ただ、大夕張だけが、残り続けてきた。

  

  

 

 参加した皆さん、20年が経ちました。

 あまりに遠いが、速かった、年月。

 

 ふるさとの思い出を共有しながら、本来、出会えるはずのなかった人たち。

 イリュージョン。奇跡の出会い。

 本当に嬉しく感動的でした。人生の宝物です。

 

 

みなさんが、こうして元気に生活して、振り返れることができれば、なによりです。

いつまでも。

 

 

 YouTubeの限定公開ということで、このリンクからの公開ということになります。

 

  

 

 

儚い 記憶 町 存在し続ける

備忘録

2件のコメント

  • その節はMasaさま皆様本当にありがとうございました。あのロケの日、元々通りがかりだった私が目にしたものも、まぎれもなく夢ではなくイリュージョンでした。
    そして20年か…だからだったか?(無意識ですが)緊急事態宣言開けたタイミングでの1週間休み、もうどうしても鹿島小に行きたくてフェリーに原チャリ積んで行ってしまいました 汗
    夕張近辺は紅葉始まりの頃でしたが、イタヤカエデの葉は…心配です。

    • あれからちょうど20年。
      日々意識もしないでいて数えたら、20年たったことに気がついたのが、前日の27日。
      あの寒かった今にも雪が降ってもおかしくないような日に比べて、桂さんの『原チャリ』も秋晴れに映える良いコンディション。
      鳥の声や沢の音が、近くから聞こえてきそうな・・・と、それはもう聞こえないのかな。
      _
      遠くから遙々来てくれたご褒美だったんでしょう、きっと。
      イタヤカエデが背景に、愛車。鹿島小学校のグラウンドだとよくわかる素敵な構図・・・、ありがとう。

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