2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その3

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 この大夕張のロケの発端や、自分の詳しいかかわりなどは、20年前のこととて、すっかり忘れてしまった。

 

 ただ大夕張がダムに沈むということで、当時は『消える大夕張への思い』が、各種メディアで盛んに取り上げられ報じられてていた。

 

 

 下の新聞記事は、故郷への思いをテーマに、自分も取り上げられたわけだが、文中に出てくる『シューパロ塾』の他に、実は『思い出ノート』設置者の泊川俊徳さんも出ている。

 

 1999年頃、『思い出ノート』は鹿島小学校の玄関の前にあった。大きなクリアケースにペンとノートが入って置かれていた。鹿島小学校の校舎を訪ねて来た人は、ここで思い思いに自分の気持ちを書いていたのだった。

 

 記事を拡大して見ると、鹿島小学校の玄関の前に、愛車のバイクとともに、自称『原付デブマン』こと泊川さんの姿が写っている。

 この新聞の切り抜きを送ってくれたのも、泊川さんだった。

 シューパロ塾は、その後、三菱大夕張鉄道の保存会につながり、泊川さんも『思い出ノート』からTVを通して全国にいる大夕張の人たちへ思いを届けた。

  『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』も、大夕張をベースとした人と人をつなげた源流にはなり得たであろうという思いはある。

 3者3様にこの紙面に登場していたという訳だ。

 この新聞記事から、2年後『私のふるさと物語』では、大夕張という土地に対する『思い』ということで、ノートの泊川さん、webの飯田ということで取材を受け、僭越ながら私も関わらせてもらったのは、幸運なことだった。

 

 

1999年(平成11年)10月17日 北海道新聞

備忘録

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