昭和32年 大夕張駅 見送りの風景3
昭和32年4月 大夕張駅 見送りの風景3
祖父長谷川安造が昭和13年春以来19年間勤めた鹿島小学校を転勤になり、大夕張に別れを告げた。
大夕張駅ホームでの見送りの様子。
大夕張駅 【泊川俊徳】 (2007/03/28(Wed) 11:13)
子供の頃、大夕張駅は随分大きく感じましたが、それは子供の自分の身体が小さい為。
何処に行く宛ても無いのに、蒸気機関車に乗りたかった事を、覚えています。
小学生、1年生位の時、知り合いの乗務員さんに、運転席に乗せてもらい、千年町駅まで乗車。
最初で最後の経験でしたね。
本来なら多分、違反ではと思いますがね。
外からは、運転室の中の子供の姿は見えませんので。内緒の話、もう40年以上の昔話です。
大夕張駅の風景 【EZONORA】 (2007/01/20(Sat) 15:51)
若い時代のある期間、大夕張駅は、大夕張を離れてからも、大夕張とは関係のない夢のストーリーのなかに、よく出てきていました。
なぜか分かりません。
もしかして、木賊(とくさ)君を見送ったときの印象が、強かったためかなと思っております。
炭坑離職で木賊君一家も、東京へ引越し(と言っておりました)することになりましたが、クラスでは、だれも見送る気配がなかったので、先生に許しをもらって授業を抜け出し、大夕張駅で木賊君を見送ったことがあります。
そのときの担任は、小熊禄郎先生だったと思います。
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【EZONORA】様への返信 【「ミーボー」ことminoru】(2007/05/04(Fri) 09:59)
本日初めて大夕張のページを開いて驚きました。
今年1月20日付のあなたが、コメント欄にお書きになってる小学校のご担任の「小熊禄郎」先生。
私の担任でもありました愛称「禄さん」の名前に出会い、大変懐かしい思いで一杯になり、もし何時の機会にかここを覘くことがありましたら先生について何時頃まで鹿島小に居られたか等多少でも知りたいと思い書き込みました。
因みに私は22年生まれで5~6年の担任でした。中学2年で鹿島を離れました。
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【minoru】様への返信 【EZONORA】(2007/06/18(Mon) 18:06
小熊禄郎先生のことを、確かに「禄さん」といっていましたね。
中学一年を終えて、私は大夕張を離れましたが、大学生であった昭和39年に大夕張に行き、「禄さん」とお会いしたときは、教員を続けておりました。
このときには、看護士の方と結婚されておりましたが、あいにくと夜勤で不在、「禄さん」と、薄暗がりの御自宅で、乾き物を肴にして傾盃したことがあります。
あれが、最後でした。
手帳を紛失してしまいましたので歿年を忘れてしまいましたが、北広島市で逝去されました。