9201

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9201 北部移転当初の昭和4年から昭和38年まで、活躍を続けた蒸気機関車。

白黒写真に着色した画像

 

昭和35年大夕張炭山

入替えに活躍した9201号と9237号 【奥山道紀】

 

 9200形機関車は,昭和4年専用鉄道の北部延長,自営運転開始に合わせて美唄鉄道より譲受ました。

 以来,「9201」号は昭和38年1月、「9237」は昭和37年9月、三菱鉱業芦別専用鉄道に移籍するまで、大夕張で活躍していました。

 
 昭和30年代の後半、大夕張は「ビルド鉱」として奥部立坑を竣工するなど年間60万トン規模のヤマから、90万トン規模へのヤマへと発展していました。

 
 鉄道の方も輸送力増強のため、39年3月閉山予定の芦別と機関車の交換がまとまり、9600形「№6」「№7」が芦別から入線しました。

 
 しかし大夕張時代の9200形は「炭山」の入替えや、炭山~明石町間などの「小運転」に利用されることが多く、ファンの評判はあまり良くありませんでした。

 
 芦別では閉山間際とは言え、本線での活躍で鉄道誌に「上芦別物語」として紹介され、大変な人気を集めました。

 
 大夕張の方も、明治生まれの機関車が無くなり、C11と9600ばかりということで、鉄道ファンの足は暫く遠ざかりました。

 
 大夕張が再度、注目されるのは「SLブーム」の昭和45年以降です。

 オール蒸気でしかも「混合列車」ということで人気を集めた様です。

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