運んだ、石炭を人を 9201 9201 北部移転当初の昭和4年から昭和38年まで、活躍を続けた蒸気機関車。 白黒写真に着色した画像 昭和35年大夕張炭山 入替えに活躍した9201号と9237号 【奥山道紀】 9200形機関車は,昭和4年専用鉄道の北部延長,自営運転開始に合わせて美唄鉄道より譲受ました。 以来,「920… 続きを読む
炭鉱とともに 婦人たちの行進 昭和30年代、大夕張炭鉱労働組合の主婦会による団体行動。婦人たちに混じり子どもたちの顔も見える。 大夕張礦業所のゲート前に集結するところのようだ。 大夕張炭山駅の屋根のあたりから撮影したと思われる北から街方面を撮影した構図。 冬空の下の組合行動とはいえ、カメラに写る婦人たちの表情に笑顔があり、どこと… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年 大夕張礦業所 正門前 昭和40年 大夕張礦業所 正門前 【飯田雅人】(1997年12月9日) 当時炭砿で働く大人達はこのゲートをくぐって出勤していったのでしょうけれど,私にとってこの場所の思い出は,特に小学校低学年の頃の記憶につながっています。この場所は,ちょうど炭山駅の正面にあたるところでした。ここが三菱バス(山内線)… 続きを読む
明治 1912年(明治45年/大正元年) 3月 21日,大夕張尋常小学校2教室増築。6月 滝の沢の北方の渓頭に若葉坑開坑。7月 錦坑閉坑。滝の沢抗縮小し,若葉坑に主力を注ぐ。【大夕張炭山近況(北海タイムス8月6日)】従来の施設と将来の計画:松隈鉱長曰へ大夕張炭礦株式会社時代に於る同鉱の施設は一見頗るハイカラ風にして坑内外の経営は略ぼ完成し… 続きを読む