妹の同級生、ナラ・ユウコ さん|高橋正朝 #78
前回、# 77 【 モディリアーニの『 腕を広げて横たわる裸婦 』 】の稿で、渡辺キミ子 さんと、末の妹の 綾子 のやりとりのことを書いた。
綾子 は、4人兄弟姉妹の末っ子で女のコということもあり、大変甘やかされた。 彼女は、誰が見ても、数人兄弟姉妹の末っ子だと想像できる風貌だ。
これも、前回の稿と同様、私が鹿島中学校の3年生か夕張工業高校の1年生のときだったか、ハッキリとは覚えていないのだが、綾子 が、同級生の女のコを我が家に連れてきた。
名前は、ナラ・ユウコ ちゃんといった。 漢字表記は知らない。
明石町の、まだ改称前の鹿島高校の、教職員宿舎に住んでいた。 お父さんは、鹿島高校の英語の先生だと言っていた。 私は、ご尊顔を拝したことはない。
私は、昭和23年11月生まれだが、私が接触できる少人数の範囲になるが、同年代で鹿島高校に行った者は、ナラ 先生のことは記憶にないそうだ。
話しがすこしズレることになるが、夕張鹿島高校が、夕張東高校になったのは、大夕張年表によると、昭和40年1月1日となっている。
したがって、私ら団塊の世代が鹿島高校に在学中に、校名が改称になったことになる。 そのことを訊いた相手の回答は、入学したときから、東高校だったという。
実務上の行為と、書類上の形式に懸隔があったのだろうか ?
私は、夕工高生だったので、よくわからないが ••••••。
話しを戻すと、我が家に ユウコ ちゃんが最初に遊びにきたときは、妹さんもつれてきた。
3人が、家のなかで遊んでいるのを見て、私の母親は、私にこう言った。
「 全然違うね •••••• 」
ユウコ ちゃんの言動が大人びているのだ。
妹がいるせいだったかもしれない。
「アヤ ちゃん、これはねぇ〜」
「アヤ ちゃん、これはさぁ〜」
と、ユウコ ちゃんは大がらで明るくハキハキしており、綾子に、姉のような感じで話しかけていた。
ナラ・ユウコ ちゃんと妹さん、渡辺キミコ ちゃんたちも、とっくに還暦をこえているわけだが、今は、どこに住んで、どう過ごしているのだろうか ••••••。
ときには、大夕張時代のことを思い出すことはあるとは思うのだが ••••••。
(2022年2月12日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
自分は大夕張は生れてから中学校卒業まで。
再会したときにはその顔に当時の印象を見つけた懐かしさと、記憶がつながる喜びがあった。
反面、幼い頃よくあそんだのに、まったく情報もなく同窓会の名簿でも『白紙』という子もいた。
心の中に当時の姿のまま、これからも残っていくんだろうなあ。。