月: 2022年3月

明石町番外地から白銀橋 訪問記

明石町番外地から白銀橋

開拓に向かう白金橋と前岳・夕張岳が重なってみえるこの光景、撮影ポイントでもあるようなこの場所は、「富士見橋」から撮影したもの。 大夕張ダムができたあと、開拓・白金に向かうには、(旧)白銀橋・開拓橋を渡っていった。 大夕張から明石町を過ぎて、左手に曲がる分岐があったが、そのあたりの山の中腹に建設されて…
思わぬ出来事|佐々木洋子 随想

思わぬ出来事|佐々木洋子

ちょっと前の出来事なのですが・・・  3月初め、東京や千葉にも雪が積もりました。午後からアクアラインバスで母と東京へ行きました。  東京駅前に北海道フーディストというお店があります。  そこで店員さんが母に声をかけて来ました。 同級生?と思いましたが母より年上のかたです。 母をどこかで見たことがある…
龍田沢から常盤町 2022 訪問記

龍田沢から常盤町 2022

2022年3月10日大夕張行。 常盤町対岸の竜田の沢にかかる「栄橋」 その橋の上から見た常盤町。 昭和47年5月2日に森健二さんが、撮影した全景写真と同じあたり。 その写真と比べると、かつてのNHK中継塔と鹿島中学校の位置に引いた線が、この写真の湖面の位置のようだ。   この写真を見ていると、前岳と…
三菱大夕張礦業所 歴代所長 あらかると

三菱大夕張礦業所 歴代所長

昭和2年から昭和44年三菱大夕張炭礦株式会社分離独立まで 勝俣 英(昭和2年6月10日~昭和7年6月15日) 西原民平(昭和7年6月16日~昭和10年5月9日) 蒔田三雄(昭和10年5月10日~昭和12年2月28日) 後藤太郎(昭和12年3月1日~昭和15年2月11日) 立花範治(昭和15年2月12…
宝沢、鹿島小学校裏手の景色  訪問記

宝沢、鹿島小学校裏手の景色 

2022年3月10日大夕張行。 写真の位置情報をグーグルマップでみると、撮影した「代々木橋」のすぐそばに、『鹿島小学校跡』のマークがある。 現地で見たときは、場所を思い出すのに時間がかかった。目の前の景色と、記憶のどこか場所がひっかかっているのに出てこない、そんなもどかしい思いがした場所の一つだ。 …
郵便局の町内地図|久々湊真一 思い出ばなし

郵便局の町内地図|久々湊真一

『散歩道』の町内地図を懐かしく拝見しています。掲載されている地図は昭和43年のものですが、眺めているうちにある事を思い出しました。 同時期の昭和41年に、私は郵便配達のアルバイトをしたのです(夏休みの帰省時)。 大夕張郵便局には、戸別の詳細地図が備え付けてありました。一家全員の名前が入った非常に詳し…
宝沢と神社山 訪問記

宝沢と神社山

2022年3月10日の大夕張行。 宝沢にかかる代々木橋の上から、山側をみる。   道路は、かつての鹿島小の裏手緑ヶ丘を南北に真ん中を貫いている。 右手に神社山が見える。このあたりは、緑ヶ丘の教員アパートがあったあたりだろう。そして、八百五十への登山の沢ルートのスタート地点として記憶に留める方も多いだ…
心にしか、もうない大夕張 | 海野真由美 随想

心にしか、もうない大夕張 | 海野真由美

       5月の連休に行った時は、千年町の自分の住んでいた所さえ探すのに苦労しました。    やはり、同じ様に探している方たちと、何人かと出逢いました。     知らない方でしたが、久しぶりに会う懐かしい友のようで、涙が、流れそうでした。       私の町は、どこに行ったんでしょうか?    …
2002年1月3日~2002年12月31日 住民登録

2002年1月3日~2002年12月31日

4年くらい前に登録したのですがアドが超古かったので変更します(笑)。 こないだ8ミリビデオテープを整理してたら懐かしいものありました。 菊水町の炭住長屋がありましたよ。 閉山後だったから廃屋になってましたけどね。 今はとっくに建物が無くなったし、企業用地で入る事できないけど当時の思い出はずっと住んで…
番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その1| 高橋正朝 #84 続・大夕張つれづれ

番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その1| 高橋正朝 #84

 前回、# 83 【 番外編••••••KR 省からのメール 】を書きましたが、ついでだから、G 省のパリにある出先機関と、2つの民間企業のパリ支店について書きます。        前回の KR 省については、新型コロナや年金に関わる行政機関なので、大夕張出身者にも、その出先の窓口に接触した人も多い…
雪原の宝沢 2022 訪問記

雪原の宝沢 2022

2022年3月10日快晴の大夕張。 かつて鹿島小学校の裏の沢、泉町。   宝沢にかかる「代々木橋」の欄干越しに、かつての宝町方面を見る。 泉町の上の方を走った大夕張鉄道の築堤のあとがすぐにわかった。 埋め立て前の宝沢を渡った鉄橋の橋脚も残る。     准さんが、「天の橋立てのように見える」と表したと…
改装前の協和会館 思い出の街角

改装前の協和会館

昭和20年代と思われる。 。 協和会館は、昭和6年に建てられ、その何度か改修工事が施されたきたようだ。 昭和32年に改装される様子がこちらかみることができる。 それ以前の改装される前の協和会館。 駅前から続く通りも未整備で、水たまりが多い。 その道をランドセルを背負った子どもたちの通学途中の風景にも…
私の両親は大夕張郵便局職員 | 市橋 勝 思い出ばなし

私の両親は大夕張郵便局職員 | 市橋 勝

 大夕張郵便局閉鎖の報をきいて・・・   いよいよ、大夕張郵便局も閉鎖なのですね。 小さい頃(昭和30後半~40年代)、よく職場に連れられて親の仕事を覗きに行ってました。   当時は、まだ電電公社(今のNTT)と未分離で、電話交換を郵便局でやっていました。  私の母は、その交換手でした。  父のほう…