交通関係 名所案内(シューパロ湖駅) 大夕張鉄道 シューパロ湖駅ホームに立っていた看板。 ※シューパロ湖駅(昭和37年(1962年)開業 ~ 昭和44年(1969年)廃止) 大夕張ダム(二股ダム)完成により、昭和37年シューパロ湖とその周辺が「富良野芦別道立自然公園」の指定を受けた。 2000年頃、夕張市石炭博物館にて… 続きを読む
思い出ばなし サトミ公園|本間としひろ 小学校低学年の時は、よく常盤町のサトミ公園で遊んでおりました。 つり橋を渡り、右手に小さい池があり、蛙・ヤゴ・たにし等を取って遊んだり、突き当たりの大きな池では、貸し竿で釣りをしたり、貸しボ-トで川へ行ったりして、とても楽しかった思い出が一杯です。 サトミ公園に管理人の家があり、お盆の… 続きを読む
訪問記 神社階段下の桜 1997 平成9年(1997年)5月 大夕張に桜が咲き始めるころ。 階段脇には、ふきのとうと笹が繁る。 階段を上りきったかつての神社境内の入り口に立った。 夕張岳と昔遊んだ階段はまだ残っていた。そばに立つ桜と夕張岳を入れて写真を撮った。 眼下の広い緑の空き地に、虚しく寂しい思いを感じた。 時は… 続きを読む
思い出ばなし 担任一覧|本間としひろ 私は、昭和37年1月に常盤町4丁目で生まれました。 その後、第二聖心幼稚園~鹿島東小学校4年迄、そして鹿島小学校卒~鹿島中学校卒~夕張東高等学校卒と、18年間暮らしておりました。 投稿されている[高橋歌子さん]とは同級生でした。 ちなみに、東小での担任の先生は近江先生(1・2年)伝法先生… 続きを読む
学び舎の思い出 奥鹿島分校運動会 白金にあった奥鹿島分校は、小規模校として地域に密着した学校運営が行なわれていた。 児童と住民が参加しての合同の運動会、研修旅行など地域と一体となった学校行事が行なわれていたという。 昭和44年8月、第一回集落合同大運動会が行なわれた。 正面奥の崖は、谷川さんの次のコメントで、位置… 続きを読む
写真 旧白銀橋から新国道(富士見橋方面) 2012年7月22日に佐々木さんという方が、『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』の写真掲示板に貼ってくれた写真を転載する。当時は複雑な心境で眺めた写真だったが、今となっては過去と現在をつなぐ貴重な写真になった。 当時、次のような文章とともに投稿された。 『白銀橋を渡って夕張岳ヒュッテの入り… 続きを読む
楽しかった日々 泉町子供会 昭和37年 泉町の行事。 子供会 卒業記念子供大会。 後ろにある掲示物から・・・・ 『卒業・就職?・進学・◯◯(読めない) 子供大会』 ここに写る子供会の面々、小学校低学年から、中学校の制服姿の子まで、このあたりまでが会のメンバーだったのだろうか。 久々湊さんが、式次第についてふれている… 続きを読む
訪問記 グラウンドは春 -2010- | 内川准一 グラウンドは春ですよ。 今日、娘の運転練習で大夕張まで足を伸ばしました。 FFの夏タイヤでも何とかたどり着けました。 夕張岳は真白で、グラウンドはふきのとうの盛りです。 (アイヌネギがどこに生えているか私は知らない。) 驚いたのは新しい国道452号の舗装が官行辺りまで既にほとんどで… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 林鉄機関車3 昭和35年、南大夕張貯木場。 当時の南大夕張営林署勤務の方たち。 前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』の写真に続く、機関車のノーズ部分のようだ。 前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車2』で機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと… 続きを読む
思い出貼 三本の映画 |丸山直記 この2年ほどの観た3本の映画の話です。 「ブラス!」(1996年イギリス・アメリカ) 「October Sky(邦題:遠い空の向こうに)」(1999年アメリカ) 「リトルダンサー」(2000年イギリス) これらに共通しているのは炭坑です。 この3本の映画ではエネルギー政策の転換で取り残… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 林鉄機関車2 昭和35年、南部貯木場の若者たち。 前回の『森林鉄道の記憶 林鉄機関車1』に3人の男女が乗っているのがわかるが、流れからいうと、手前の席に座っていた男性が降りて真ん中と左はしの女性二人を撮影した写真のようだ。 カメラに向ける笑顔が楽しそうである。 機関車は『野村プリモス型』で、野外博物館「北… 続きを読む
随想 心に残る故郷”大夕張” | 阿久津 誠 私は、東校5期生ですが純粋な大夕張の出身では有りません。 母方(故人)の実家が栄町(だったと記憶しています)でしたので、亡くなった小学校4年生の年までは、お盆・正月等何かにつけて良く行ったものです。 栄町商店街、代々木のアパート群、プール、教会、スキー場等々・・・頭の記憶に残る場所は、結構有… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 林鉄機関車1 昭和35年。 自分との関わりでいうと、ものごころついた昭和40年代日常の生活の中で森林鉄道の存在を意識したことはほとんどなかった。 あるとすれば、ダム湖畔から見える三弦橋その他のいくつかの橋梁たちを見たときに、木材を積み出す汽車が走っていたんだなあ、と思ったくらいだった。その頃は、すでに廃止にな… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 東野英治郎と西村晃の、吉良上野介と水戸黄門 | 高橋正朝 #88 前回 # 87 で、千年町にあった大夕張劇場て、水戸黄門を観たことに言及しました。 水戸黄門に言及したついでに、大夕張とは何の関係もないが、黄門役をやった東野英治郎と西村晃に話しが跳びます。 黒澤明が、脚本に共同執筆者として加わり、監督をやった『 天国と地獄 』がある。 … 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 トロッコ2 昭和35年。 南部貯木場の若者。 トロッコにのって正面から写したショットを見ると、あの映画の名シーンを思いだす。 森林伐採の作業から脱獄計画に巻き込まれた主人公の橘が、ブレーキの効かない猛スピードで走るトロッコにのってひたすら雪原を逃げる。追いかけてきた保護司が猟銃を打ちまくり鬼気迫る迫力のシーン。… 続きを読む
随想 昭和35年鹿島小学校3年生 見学旅行 |奥山道紀 昭和36年7月13日【北海道新聞・夕張版】 『みんなで旅行うれしいな 鹿島小三年生模擬坑など見学』 今月は市内小、中学校の修学旅行・見学旅行の最盛期。 鹿島小学校の三年生も十一日、夕張市内や栗山方面の見学旅行を行った。 昨年は小児マヒの流行でどこへも出かけられなかったこどもたちにとって、… 続きを読む
楽しかった日々 森林鉄道の記憶 トロッコ1 昭和35年。 南部貯木場。 先頭に立ってポーズをとる青年の姿の後ろには、子どもや女性の姿も見えていて、これも当時行なわれた何かの行事の一コマだったのだろう。 白黒写真に着色した画像 左に見える気動車は野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと同型で、次のよう… 続きを読む
あらかると 大夕張の商店街 その1 【南部の商業地】 南部が『大夕張』で、大夕張が『北部大夕張』とよばれた明治から大正にかけての時代。 南部の大夕張炭炭坑に労働者が集まると同時に商売をする人たちも集まってきた。 その頃の話から始まる。 明治39年(1906年)、大夕張炭坑が開坑すると同時に、多数の労働者が入り込んだ。 … 続きを読む
思い出貼 森林鉄道の記憶「トロッコ」 昭和32年、今でいうと『森林鉄道一日体験イベント』みたいなものだろうか。 夕張南高校生、夕張工業高生、他にも小中学生が参加している。 白黒写真に着色した画像 元の白黒写真をみるには、こちらから↓ https://ooyubari.com/2020/07/05/sinrinkioku/… 続きを読む
随想 ふるさとの匂い |久々湊真一 匂いというものは、記憶と深く結びついている。 昨年の5月に大夕張に行った時である。 僕の顔を撫ぜている風の匂いに、なぜか立ち止まって、懐かしさで胸が一杯になった。 大夕張の乾いた空気の匂い。 まだ肌寒いけれど、確実に春がやってくる花々の匂い。 それらが、どっとやってきて、僕は立っ… 続きを読む