思い出の街角 栄町1丁目の通り 昭和32年11月に栄町アパートが完成し、入居が始まった。 外便所だった炭住も内便所になったという。 見えている栄町アパートは、こちらから、1丁目14番。13番、12番。 12番の隣は、・・・昭和40年代は、空き地だった。 ここでは、古い住宅が見える。 昭和36年の大夕張上空からみた『台地… 続きを読む
統計 鹿島小学校 児童数・学級数の変遷 開校 昭和3年10月開校 閉校 平成10年3月閉校 和暦西暦学級数児童数(人)昭和3年1928年275昭和4年1929年7428昭和5年1930年13818昭和6年1931年13776昭和7年1932年13824昭和8年1933年13819昭和9年1934年14865昭和10年1935年16924昭… 続きを読む
写真 鹿島小学校グラウンド 2022年5月6日 何もない 林の風景・・・。 でもここは、旧鹿島小学校グラウンドの北東の角。 汽笛の代わりに小鳥のさえずりがきこえる。 『旧鹿島小学校跡地』にて… 続きを読む
随想 何もなくなった故郷|石黒静治 私は昭和18年生まれ。 鹿島小から鹿島東小に三年生の時に転校し、常盤町5丁目6番地で過ごし、鹿島中学校を卒業するまで居ました。 それからは、ずーと関西にいまして、このたび45年ぶりにこの鹿島地区を訪ねましたが、なにもない故郷に愕然とし悲しく、寂しく、1日中、旧鹿島小跡に、座りこんでいま… 続きを読む
思い出の街角 開拓から白銀橋 昭和34年に建設された白銀橋。 この橋を渡って明石町から開拓へ向かうことから、開拓橋ともよばれていた。 雪どけの時期、残雪が多く残る畑の向こうに橋が見えて、その向こうまでの明石町の道路や、住宅が見通すことができる。 昭和30年中頃だろうか。 尚、白金地区が「開拓」から「鹿島白金」と地名変更になっ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 〘 透明人間と蝿男 〙のユーチューブのビデオ。|高橋正朝 #93 前々回、続・大夕張 # 91 〘 透明人間と蝿男 〙で、ショートカットメニューのことについて、以下のように言及しました。 この〘 透明人間と蠅男 〙は、ネットを探ると、予告編を見ることができます。 ただし、どういうわけか、著作権の関係か、ナレーションは英語である。 だが、このときは… 続きを読む
思い出の街角 サトミ会館 千年町のサトミ会館。 鹿島中学の頃、ある時期、暁橋を渡って、「サトミ会館」の横を通って登下校していた。 特に、午後の学校帰り、建物を覆う目隠しのように貼られた板の入り口から見える、暗い空間に「いったい何があるのかと』、純情な中学生は、横目を使っておそるおそるのぞきたい気持ちと、なん… 続きを読む
2丁目3番地 フランスギクと花占い(大夕張の花) 道端のフランスギク 草丈20cmから1mくらいで、道端でよく見る可憐な白い花。 寒い冬の北海道でも越冬し、野生化し繁殖力のある外来種。 いまでは、他地域から導入された種が在来種に大きな脅威を及ぼしている植物として、北海道ブルーリストにものってしまった。 子どもの頃は、たしかマーガレットと… 続きを読む
記念の日 三献の儀 労働会館 写真は、昭和31年10月に当時鹿島中学校で教員をしていた叔父と事務室で働いていた叔母の結婚式の時の様子。労働会館の一室で行なわれた三献(さんこん)の儀の様子。 仲人は、当時の鹿島中学校校長萱場武夫ご夫妻。萱場校長は、その後昭和34年から38年まで鹿島小学校校長を務めた。 三献の儀は、神… 続きを読む
開拓・白金 開拓地 住宅地図(桜ヶ丘・下夕張・旭ヶ丘) 昭和20年以降、食糧増産の風を受け、森林鉄道沿いに農地開拓のため、入植した人々がいた。 南部より北部には、「桜ヶ丘」「下夕張」「旭が丘」の3つの開拓地があった。 戦後、下夕張に入った高橋善兵衛さんの娘さんである山影静子さんが、書いた本には、当時一緒に入った人々やくらしの様子について書かれて… 続きを読む
思い出の街角 鹿島労働会館 昭和47年頃 千年町 千年町にあった鹿島労働会館。戦後、結婚式や宴会、様々なイベントで活用されていた。 白黒写真に着色した画像 母が労働会館に勤務 【阿部照子(旧姓白岩)】 開館時に、母が管理人及び調理師として住み、身体を壊すまで住んで居ました。 父は役所でしたので小学生の私は両方を、… 続きを読む
思い出ばなし オリンピックの記憶|ziny アテネオリンピックが始まりました。 準備の遅れが予想されてましたが、開会式はなかなか素敵でした。 芸術点は高かったですね。参加選手も感動・・といってましたが。 時は昭和39年(1964年)、東京オリンピックの開会式。 あの日10月10日は抜けるような青空でした。 聖火の最終… 続きを読む
思い出の街角 夕張市役所鹿島支所と鹿島労働会館 昭和45年頃 手前(明石町側)が鹿島労働会館 向こう側が夕張市役所鹿島支所。 千年町にあったこの2つの建物は,沢で隔てられた明石町は別として、子どもの頃の感覚としては、ちょうど市街地の外れにあるようにたっていました。 昭和30年代、大夕張駅前と千年町を結ぶ本通りが、舗装されてきていた時も、… 続きを読む
思い出の街角 夕張市役所鹿島支所 昭和47年頃 千年町に鹿島労働会館の建物の横にあった。 市役所鹿島支所の建物の壁に掲げられた垂れ幕には、写真を拡大してみると、『 「石炭産業の長期安定と 産炭地防衛を市民総意で推進します」~~~推進本部 』と読むことができる。 石炭産業の衰退がいわれ、閉山の話も聞こえてきたころ。 鹿島支… 続きを読む