心に残る故郷”大夕張” | 阿久津 誠

1918


 私は、東校5期生ですが純粋な大夕張の出身では有りません。

 母方(故人)の実家が栄町(だったと記憶しています)でしたので、亡くなった小学校4年生の年までは、お盆・正月等何かにつけて良く行ったものです。

 
 栄町商店街、代々木のアパート群、プール、教会、スキー場等々・・・頭の記憶に残る場所は、結構有ります。

 
 そして、高校の3年間、南部から明石町への汽車通学、同級生・クラブ活動・その他の事でも大夕張・千年町との思い出は決して忘れる事の無い『故郷・大夕張』です。

 
 私は、父親が北夕炭鉱の鉱夫でしたので、南部の北夕と言う所(南部と遠幌の中間ぐらいかな)に住んでおりました。

 高校を卒業してからこの地に来たのは、父親が亡くなった時でした。

 この時は既に岩見沢の方へ転居(父親)していましたが、当時長女(小学校4年生)から

 

「お父さんが生まれた所に行って見たい」

 

とせがまれ、何度も足を運ぶ事の無い故郷になっていましたので、家族で行って見ました。

 
 14、5年振りでしたが、川を挟んだ北夕橋を渡り、左に山の方へ向かう道路があったはずでしたが、草がぼうぼうと生い茂り、それ以上は行く事が出来ませんでした。

 


「この山の上に、お父さんが住んでた炭住街が有ったんだよ・・」

 


 もう少し早く、父の故郷を見せておけば良かったと、単なる ”山” になってしまった故郷をただ呆然と見ていました。

 
 炭鉱の閉山という厳しい現実を見た思いがしました。

 自分の故郷『夕張市南部41番地北夕』が無くなった・・そんな思いになりました。


 大夕張も、刻々と変わり行く様を見ておりますが、大夕張を愛し、懐かしむ大勢の”大夕張人”が一つになっている気がします。

 北夕は『山』に戻り、これからも残るかもしれませんが、湖底に沈む『大夕張』は、いつまでもいつまでも『心』に残る私の『故郷”でもあります。

(2001年12月2日 記)


随想

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