父との二人旅 |乗田功一
2022-02-22
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1999(平成11年)年8月27.28日
大夕張を訪ねて
父との二人旅となった今回の大夕張行き。
すでに殆どの建物が消滅してしまい、十数年ぶりの大夕張という父も、その変わり果てた街の様子にショックを受けていた様子でした。
今回、一番心配していた鹿島小学校校舎はまだ健在で、ホッとしましたが、窓ガラスが一部割られていたり(2階の窓なので投石による物なのでしょう)すっかり荒れ果てていました。
閉校の記念碑もいたずらによって倒されたとのお話がありましたが、一応元の台座に乗ってはいましたが少しズレていて、角の欠けが痛々しくとても残念な思いです。
いずれにしても校舎の解体は時間の問題と思いますので、これで見納めと思うと、悲しさとも悔しさともつかない複雑な気持ちです。
浄水場には登りませんでしたが、下から見上げた様子ではあの「黄色い旗」が見えず、ちょっと気がかりでした。伸び放題の草木の陰に隠れて見えないだけだと良いのですが・・・。
「イタヤカエデ」は 先日治療されたという通り、丁寧な治療跡がうかがえ、これからもこの地のシンボルとして末永くそびえ続けてほしいと思いました。
毎年大夕張へ行くたびに多くの大夕張出身者と思われる人々の車を見かけたのですが、今回は全く見られず少し寂しい思いです。
時期的なものかもしれませんが、徐々にこの地を訪れる人も少なくなって行くのでしょうか。
父親と一緒ということで、私の知らない昔の大夕張の話や坑口での昔の炭鉱の様子など、とても貴重な話が聞け、とても充実した旅となりました。
父親は「これが最後だ」と言っていましたが、私はあと何度この地へ来るのだろうかと考え、この大夕張を語り継ぐのは私たちの世代なのだろうなとあらためて感じた旅行でした。
(1999年9月30日 記)