戦後の大夕張炭鉱鉱員住宅

55178

 戦後、石炭産業で働く人が増えることに応じて、春日町(昭和23年)、常盤町(昭和25年)に、新しい街ができた。春日町の住宅は、一棟2戸の内水道内便所で、部屋も六畳間が三つと妻帯者を中心に入居したという。

 

 町外れの荒れ地に新しく炭鉱住宅が建設された。

 その建設を担った大林組の社史に、記述がある。


 戦争直後、産業復興にとって不可欠な石炭、電力のエネルギー源も、いちじるしく不足していた。

 そこで、政府はこれを解決するため、「傾斜生産方式」により、鉄とともにこれらエネルギー源の開発に特別な保護を加えた。

 これによって、石炭産業は急速に伸長したが、当時、大林組が炭鉱労務者のために建てた住宅(炭住)も数多い。

 その最盛期は、昭和二十二年~二十三年で、北海道では大夕張、日東美唄(以上三菱鉱業)、雄別茂尻(三菱地所)、歌志内、奔別(以上井華鉱業)、九州では鯰田(三菱鉱業)、大之浦(貝島炭鉱)などの炭住や病院等を施工した。

 (大林組八十年史 第3編戦後の再建と新発展の時代より)

第四節 進駐軍工事と復旧工事 | 第一章 敗戦の衝撃―虚脱と混迷 | 第三編 戦後の再建と新発展の時代 | 大林組八十年史 (obayashi.co.jp)


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

アップロードファイルの最大サイズ: 5 MB。 画像, 音声, 動画, 文書, スプレッドシート, 対話型, テキスト, アーカイブ, コード, その他 をアップロードできます。 Youtube、Facebook、Twitter および他サービスへのリンクは自動的にコメント内に埋め込まれます。 ここにファイルをドロップ