昭和45年 バイクで写真撮影|Kawauchi Masami

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 オートバイと私 

 1970年、昭和45年です。

 オートバイに乗ってた私は、閉山の噂がで始めた頃だと思うのですが 撮っていた方がいいかなと言う感じで、その日のうちに春日町の吊り橋 神社からの風景 大夕張ダムを 撮って歩きました。

昭和45年、明石町の、鹿島自動車教習所跡地にて。
当時イージライダーが流行っていて、 同じようなイーグルハンドルを付けています。

 16歳の時、オートバイが欲しくて 定時制で働きながら買いました。

 当時給料 1日 850円、 月18000円 その時の私のバイクは、203,000円でした。1ヶ月の給料の半分以上の10,000円の20回払い。今だと100万は超えてるかと思います。

 18歳 まだ家庭には電話が有りません。

 車免許 41000円でした。 でも2ヶ月分給料が飛びました。価値で考えると今と同じかな。

 車は個人で買える時代ではなくて 免許持っていれば 乗れるかも? そんな感じでした。

シューパロ湖畔を走る。
この時のウインカー上を向いています。非常に眩しかった。

  当時ヘルメットが、義務化で有りませんでした。

 この翌年からヘルメットが義務化になりました。ちなみに、車もシートベルト義務化で有りませんでした。

 この場所は、汽車のトンネルの所、道はお地蔵さんを超えて真っ直ぐになった直線の所です。

 ガードレールの向こうにシューパロ湖がみえてます。大夕張に向かっている所です。

 私が17歳 丁度 50年前です。

 

 下のグラウンドは便所場球場、1970年には渡れて、便所場球場には、バイクで行ってましたが、1971年には渡れませんでした。

 多分ですがこの時期閉山の噂が流れていましたから、会社の方も修理しないで、閉鎖にしてお金をかけなかったのかもしれません。

 

春日橋 緑町から崖を降りたところ 球場に向かって

 何で便所場球場というかと言うと、緑町の方から吊り橋の近くに馬車で持ってきた糞を、川へ垂れ流していました。

 臭かったですよ。 私が幼稚園入る前ぐらいかな、昭和33年か34年ごろの話です。

大夕張神社から
シューパロ湖から大夕張ダムへ
私は 写真に興味が有りまして 当時では珍しかった 一眼レフを持っていました。
結局フイルム代と現像代が高くてあまり使えませんでしたが、今でも有ります。
 このカメラで撮りました。

(2020年3月12日 記)

(2022年2月28日 追記)

 


(筆者紹介)

 昭和29年6月生まれ。三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務


思い出の記

3件のコメント

  • ごめんなさい🙏。SR 7 でした。親友のお兄さんが、カワサキのマッハⅢ に乗ってました。

  • カメラはSRT-101 でしょうか?懐かしいです。

  • 懐かしい春日町の橋です。
    バイクはハスラーでしょうか?
    私は春日町に住んでいまして、昭和45年といえば私もカワサキトレールボス90ccに乗って駆け回ってましたよ。
    春日町の橋を渡らずにバイクで川を渡り向かいの広場に登って逆ハンやジャンプの練習をしていました。
    おかげさまで冷水山のモトクロス大会で入賞しました。
    結果が優勝か2位かが記憶にないんですが、神奈川に住んでいたときにアパートの部屋に飾っていた表彰状が紛失していまいまして。先頭に付ける鉄板のナンバーだけが残っています。
    昭和45年か46年の当時、冷水山のモトクロス大会の様子を記録した写真を持っている方がいましたら見てみたいですよ。

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