すずらん灯

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 昭和30年代の千年町商店街の写真を見ていると、目につくのはすずらん型の街路灯である。

 球形のライトが鈴蘭の花のように連なっている洒落たデザインである。

 同じく昭和31年のメーデーの大夕張駅前の写真にもすずらん型の街路灯が写っている。

 

 対して昭和40年代、大夕張駅前周辺の写真をみると円盤状の平たい形をしたありふれたデザインの街灯になってる。これは、当時暮らした自分も記憶のある町の街灯の形でもある。

 

 もっとも、これは、大きな通りだけの話で、一歩道を入ると、電信柱に傘のついた電球灯だったのは、当時住んでいた皆さんがよく知るとおり。

 

 街灯があるだけマシで、夜道は草原から聞こえる虫の声を聞きながら、月や星の光の下、各家庭の窓からもれるオレンジ色の灯を目印に、家路を急いだものだ。

 数多くの飲食店が建ち並んでいた千年町。

 

 戦後、山の中の娯楽の少ない町に、全国から集まった独身者や、妻帯者。

 

 数多くの男たちが過酷な労働のウサ晴らしに、あるいは憩いとロマンを求めて、夜は不夜城のようなにぎわいをみせていたことだろう。

 千年町のすずらん型の街灯は、人々の浮世話や色恋沙汰に、酔いでおぼつかない千鳥足の足下を、明るく照らし出した。

 

 私は、中学生の頃、毎朝、岳富・千年町の繁華街を通って中学校へ向かったが、今思えば、店舗兼住宅の2階から見える住宅の窓から、なんとなく気だるい朝を迎えた人の影が漂っていたことがあったことを覚えている。(あんまり具体的に書くことははばかられるが・・・)

 

 そんな千年町の写真にうつる街灯。

 

 すずらん型の街灯には、けっこう歴史があるらしい。

 京都、神戸あたりで早くに導入されたという。

 神戸の元町通には、大正15年にお目見えしていたそうである。

 その2年前、大正13年(1924年)には、京都寺町のすずらん灯が話題になったそうだ。

 

 すずらん形の街灯は、関西界の代表的な建築家武田五一が電力会社からの依頼で考案した。

 当時、すずらん灯一基250円とずいぶん高価なものだったようだ。

 公務員の一ヶ月の給料50円、映画30銭という時代だった。

 

 すずらん灯は、第二次世界大戦の戦力増強のための供出で一時、姿を消した。しかし、戦後復興の中で全国各地で復活登場していった。

 

 炭鉱景気によって大夕張のすずらん灯もこの頃誕生したものだろう。

 

 

 すずらんの形をした愛らしい街灯は、今でもレトロな雰囲気を醸し出す繁華街の名称として、東京をはじめ、全国各地に『すずらん通り』の名で残っている。 

 東京には、神田神保町を筆頭に、銀座、荻窪など15の「すずらん通り」があるそうだ。

 

 札幌の有名な狸小路商店街では、今は見られないが、アーケードが昭和33年に登場する以前は、各丁商店街が競って「鈴蘭灯」を導入していたという。

 

 あなたのお住まいの街の近くにも、「すずらん通り」の名残があるのではないだろうか。

 すずらん灯 スズラン灯 鈴蘭灯

(2022年5月19日 記)


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