オリンピックの記憶|ziny
2022-05-26
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アテネオリンピックが始まりました。
準備の遅れが予想されてましたが、開会式はなかなか素敵でした。
芸術点は高かったですね。参加選手も感動・・といってましたが。
時は昭和39年(1964年)、東京オリンピックの開会式。
あの日10月10日は抜けるような青空でした。
聖火の最終ランナーが、国立競技場の長い階段を上っていきます。
坂井選手でしたね。
あの点火を見て感動・・した記憶があります。
家にもテレビはありましたし、バレーボールの東洋の魔女の回転レシーブ、体操のチャスラフスカ、マラソンのアベベ、円谷、ヒートリー選手、そして三宅、ジャポチンスキー選手?などの重量挙げも記憶にあります。
でも、我が家はまだ白黒だったんだろうか。?
何故か開会式は栄町の購買会の売り場で見ていたことがいつも思い出されます。
総天然色テレビ(カラー)の出始めだったころでしょうか。
青空が印象に残ってます。他に何人も見ていました。
どなたか記憶にありませんか?
建物の真ん中よりも右側のほうが電機・テレビ売り場だったと思います。
鹿島中学校でも視聴覚教室(視聴覚委員は黄色のバッチでしたね)で、オリンピックを見ました。これもまだ白黒だったかな?
東京オリンピックは第18回、アテネは第28回です。
もう40年も時は過ぎたということですか。
でも、目を閉じると浮かぶ前岳、夕張岳はあの頃のままです。
(2004年8月15日 記)
テレビを初めて『総天然色』で見た記憶とつながる64年の東京オリンピック。
それは、カラー放送は家のテレビではなく、街の店頭でした。
zinyさんは購買会、自分はツバメ電気商会。大勢の人がそうだったでしょう。
色のついたTV画面の印象が強烈でした。