サトミ会館
千年町のサトミ会館。
鹿島中学の頃、ある時期、暁橋を渡って、「サトミ会館」の横を通って登下校していた。
特に、午後の学校帰り、建物を覆う目隠しのように貼られた板の入り口から見える、暗い空間に「いったい何があるのかと』、純情な中学生は、横目を使っておそるおそるのぞきたい気持ちと、なんだか見てはいけないような気持ちの葛藤に、好奇心がそそられていたものだった笑。
写真のサトミ会館向かいの焼き鳥屋の前は、電飾のツリーがかかっているように見える。
下校時刻よりも遅い時間に、このあたりに来ることはなかったのでわからないが、夜の闇を揺らしてネオンサインならぬ色とりどりの電球が様々な色に光輝いていたに違いない。
この頃はすでに閉山前後の頃だろう。それでもこのあたりは、酔客でにぎわう夜の雰囲気を感じることができる。
ところで、「サトミ会館」という名前について。
サトミさんという苗字の人か、はたまた、なんとかサトミさんという名前から来ているのか、その由来はわからないが、千年町に「サトミ会館」、駅前にも「サトミ家具店」と「サトミ」名のつく店舗がある。
電話番号も「33番」は共通だ。
昭和43年の「住宅地図」には、千年町の「サトミ会館」は、飲食店もあるが、家具屋さんとして掲載されている。
大勢の人が住んでいた大夕張とはいえ、狭い地域の中でのこと、偶然とは思えない。商売していた方は、同じ人物、もしくは親類縁者の方々だったのだろう。
当時の大人や、大夕張の商店街に詳しい方は、そのあたりの事情を知っている人がいるかもしれないが、自分は何の知識も持ち合わせておらずよくわからない。
写真をみると、千年町の「サトミ会館」は、『里美会館』と漢字で書くようだ。
ちなみに、「サトミ」といえばもう一カ所、常盤町の「サトミ公園」がある。
昭和45年頃、隠居して暮らす松尾三四二さん(75)と、妻サトミさん(70)の名前から、「サトミ公園」の名前がつけられていたいう。
松尾さんの隠居前の仕事は、なんだったのかはわからないが、ひょっとしたらこの話となにか関係があるのかもしれない、あるいは単なる偶然なのだろうか。