富士見町3丁目33番地

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 昭和44年(1969年)6月の山神祭。

 住所は、富士見町3丁目33番地。

 当時住んでいたアパートの前。啓心寮の裏手の土手の上にあった。

 後ろに見える窪地は、啓心寮の炊事場の裏手にあたる。

 

 今ではあまり見なくなったご近所さん同士の四方山話。

 なつかしいご婦人達の顔ぶれの中に母もいる。

 

 その習慣からか、母は大夕張を出てからも、ご近所との付き合いは長けていて、自分の知らない話をたくさん知っていた。もちろんその分、息子である自分の情報は『ダダ漏れ』であったが(笑)

  

 写真外の左手に倶楽部、所長宅、右手に啓心寮。

 

 所長宅は、かつて庭付きの立派な戸建の所長住宅があったらしい。

 しかし礦業所の所長は東京からの単身赴任ということで、当時の望月所長は、倶楽部に一番近いアパートの一階に住んでいた。

 

 倶楽部には立派な庭があった。

 

 後ろに見えるゆるやかな坂道は、その倶楽部の庭の生垣に沿った道。

 午後5時になると、弁当箱を手にした父親がゆっくりとした足取りで帰ってくるのが待ち遠しかった坂道でもある。

 

 2022年6月に大夕張を訪問した時には、国道からこの道の跡を確認することができた。

 

 今の国道は鹿島小学校のグラウンドの山側を通り、スキー場下、啓心寮があったあたりを通っているようである。

 

 

 この写真の左に続くのは、次の写真から↓

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