富士見町

冬の裏山 思い出の街角

冬の裏山

  富士見町の住宅地から八百五十への尾根へと続く山。 昭和35年頃、富士見町6丁目の礦業所の前の坂の登るとてっぺんの家、坂の一番上の住宅に引っ越すことになった。   当時薬局にいた大橋秀雄先生が引っ越すことになり、その後に入ったのだった。 二軒一戸建ての住宅の、隣に田中さんが入っていて、その家には同…
礦業所のスキー大会 思い出の街角

礦業所のスキー大会

ノルディックのスキー大会。 礦業所の職員慰安行事の一つだったのだろう。様々な行事が行なわれていたスポーツ大会の一つ。   スキー場前の富士見町1丁目の山側の道路をゼッケンをつけた参加者が鹿島小学校グラウンドの方向に進む。 どんなコースだったのだろうか。     昭和40年頃と思われる。   白黒写真…
山神祭 富士見町3丁目33番地 楽しかった日々

山神祭 富士見町3丁目33番地

   富士見町3丁目33番地、家の前から父が撮影した写真。  列の先頭にその頃よく遊んでいた近所の『トシ坊』が立っている。自分はこの行列の中にいたのだろうか、さっぱり記憶はない。         かつてこの写真を見た時には、行事そのものよりも、写真にうつるこの道路を境に、左手の啓心寮隣の土手下の空き…
山神社ヨリ富士見町社宅地帯ヲ眺ム (其ノ三) 絵葉書

山神社ヨリ富士見町社宅地帯ヲ眺ム (其ノ三)

 昭和15年(1940年)頃の大夕張の富士見町方面を撮影した写真に着色してカラー化した。  ここに見える啓心寮の住所を(其ノ一)で、3丁目と書いた。    先日、父の戸籍を見る機会があった。  それによると、昭和29年に結婚するまで住んでいた住所が「富士見町三区」と記載があった。  独身時代、啓心寮…
雪かき 楽しかった日々

雪かき

   雪かき、雪はね、雪割り・・・降った雪に関わる力仕事は、天候や気象条件によりいろいろな思いもするが、家庭でのこの日の雪かきは、しばらく大量の雪が降り続いた後、気温が上がり、雪が少し溶け気味で水分を含んだ重い雪が相手だっただろう。    スコップで四角に切りながら、広げていった。    セーターで…
富士見町3丁目33番地 その2 思い出の街角

富士見町3丁目33番地 その2

 昭和43年鹿島小学校を卒業して中学校に入った、その年の5月頃だろう。  後ろには、富士見町の独身寮『啓心寮』  土手下のテニスコートや空き地は、『遊び場』だった。    富士見町3丁目33番、それまで木造の住宅から引っ越し、大夕張で最後に住んだブロック住宅。  家の中は、ペチカがありトイレは和式水…
富士見町3丁目33番地 思い出の街角

富士見町3丁目33番地

   昭和44年(1969年)6月の山神祭。  住所は、富士見町3丁目33番地。  当時住んでいたアパートの前。啓心寮の裏手の土手の上にあった。  後ろに見える窪地は、啓心寮の炊事場の裏手にあたる。    今ではあまり見なくなったご近所さん同士の四方山話。  なつかしいご婦人達の顔ぶれの中に母もいる…
富士見町6丁目の記憶 思い出の街角

富士見町6丁目の記憶

   昭和40年(1965年)頃 富士見町  私が富士見町6丁目に住んでいたのは小学校入学前あたりから,小学校3年生の頃まで。  鹿島小学校から帰る時は、校門を出て大夕張鉄道沿いの道を歩き、そこから山の方の坂道を上った。  反対に、鹿島小学校に行くには、そこから4丁目のあたりまで坂道になっていた。鉱…
お祭り集合写真(富士見町) 街の行事

お祭り集合写真(富士見町)

昭和37、8年頃。富士見町詰所前。 線路をはさんで向こうに健保会館の屋根が見える。 父がお世話役の一人としてうつっている。 男兄弟ふたりがいた我が家だったが、ここにはいない。 特に引っ込み思案で恥ずかしがりの私は、ここにいたとしても、雨のそぼ降るこの日の天気、早く帰りたくて泣きべそをかきながら立って…
そり遊びとボッコ手袋 楽しかった日々

そり遊びとボッコ手袋

昭和35年頃 富士見町5丁目、炭鉱住宅は、ほぼ規格が決まっていた。 このあたりは病院の関係者などが多かった。一軒2戸、横には畑というか雪のない時期には、家庭菜園になるような空き地のスペースがあった。 窓も埋まるような雪が降った後は、その空き地の方に向かって坂を滑る絶好のスペースが出来て、冬の遊びに興…
雪とともに 楽しかった日々

雪とともに

雪の多かった大夕張。今ではほとんど見ることの無くなった木製のスコップ。柄の長い「雪かき道具」 『ジョンバ』とよんでいた。   雪をのせる木の板は3方を板で囲み、雪が落ちないようになっていた。 サラサラ雪の北海道ならではの雪かき道具だったという。   それでも木製の『ジョンバ』は、それ自体けっこうな重…
富士見町6丁目から 思い出の街角

富士見町6丁目から

昭和40年頃、富士見町6丁目の山から鹿島小学校方面をみる。 清水の遊び場  富士見町6丁目は住宅のどんづまり、礦業所のすぐそばという印象がある。住んでいた家の裏手には山が迫り、小学校低学年から中学年にかけて、春夏秋冬ここが遊び場だった時がある。 この写真の真ん中、住宅と山の境目に小さな坂が見える。 …
私が住んだ街 |太田 勢 思い出ばなし

私が住んだ街 |太田 勢

 私が大夕張に住んだのは、小学校2年生からの4年間でした。   両親が夕張出身(遠幌、楓)で、祖父母も夕張に住んでいたので、夕張には小さい頃から何度も行ってました。  そんな私が、父の転勤で初めて住んだ夕張の地が、大夕張でした。   私が住んだのは、富士見町6丁目の一番奥でした(家の裏は沢でした)。…