私の恩人3 | 久々湊真一

19642


 宝町一丁目に、新聞記者をされていた(と記憶する)佐藤貞雄さんがおられました。

 父の知り合いでもあり、何度かお宅にお邪魔をしました。

 
 私がここで見た(驚いた)世界は、今振り返ると、大変重要な出会いでした。

 それは、新聞のスクラップブックでした。

 切抜かれた新聞記事は、各々コメントが附されて綺麗に貼られ、ジャンル(?)別の見出しがついていました。

 本棚には、このスクラップブックがずらりと並んでいて膨大な数があり、圧倒されました。

 
 佐藤さんはプロ意識(良い記事を書くため)により、自発的にかつ楽しみながらスクラップをされていたようです。

 私にとっては、プロとは何なのかを考える契機にもなりました。

 

 後に、仕事で資料を集めたり整理をする機会には、佐藤さんのスクラップブックを思い出しました。そして、整理の過程で「こうすれば良いのか」とか「次はこうしよう」という仕事のアイディアが何度も閃きました。

 収集整理は一見苦痛に思われますが、視点を変えると楽しいものだと判り、佐藤さんの意図が理解できました。

 
 ただし、この影響は趣味の世界にまで伝播しました。

 クラシックのLP、CDのデータベース化などは、女房に「好きねぇ。又やってるの」と罵倒されて(笑)います。

 

 父が亡くなった(平成2年)時に、佐藤さんから『あるもの』が届きました。

 
 父が活躍したことを記載している「大夕張時代の新聞」の切抜き記事でした。

 
 不覚にも これを眼にした時に、我慢をしていた涙がこぼれ落ちました。

  

(2001年8月25日 記)


随想

 注)

佐藤貞雄さんが大夕張礦業所の昭和48年に礦業所の社内報に執筆された『岳麓の里』は、その一部を『ふるさと大夕張』でも一部を掲載していた。掲載した当時、娘さんを通して「父も喜んでいる」という書き込みをいただいてたいへん嬉しく思ったことを思い出す。

 3年前、『ふるさと大夕張2丁目3番地』として再スタートしたときには、最初から独立したカテゴリーとしてメニューの中に入れることに決めていた。

 にぎやかなりし大夕張を生き生きと描き出す名文だ。 

 メニュー下のカテゴリーにリンクを貼った。こちらから読むことができる。↓

 

岳麓の里 | ふるさと大夕張2丁目3番地 (ooyubari.com)

(飯田)

1件のコメント

  • スクラップブックを使っての情報整理。
    新聞をテーマごとに整理し、見やすくまとめていた友人のスクラップ帳を見て、中学生の時「自分も」と思い、始めたことがあった。
    しかし友人のようにはならない。
    ・テーマ追求の動機が希薄
    ・あきっぽい
    あたりまえのように挫折した(笑)
    それでも情報整理のようなことは好きで、その後も今に至るまで関心だけはある。

    苦手なのは相変わらずで、未整理のまま、家人からの目も気になる日々(笑)

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