北海道弁••••••けれっぱ | 高橋正朝 #109
今となっては、もはや、この言葉は、死語になっているかもしれない ••••••。
運動会などで、特に徒競走のとき、ビリケツ、すなわち最下位になったときには、大夕張時代の我々は、〘 けれっぱ 〙と言っていた。 〘 けっぱ 〙という〘 れ 〙が抜けた言葉もあったか、私は、どちらかというと、〘 けれっぱ 〙を使っていた。
この〘 けれっぱ 〙をネットでチェックしたところ、でてこない。 そのかわり、ビリケツの北海道弁としては、〘 げれっぱ 〙もしくは〘 げっぱ 〙とでていた。
しかし、私の記憶としては、濁音の〘 げ 〙ではなく、あくまで清音の〘 け 〙である。
それで、子ども時代を大夕張で過ごした男女数人に、バンコクから電話して訊いてみた。 全員同学年なので、昭和23年遅生まれと昭和24年早生まれである。
いずれも、〘 けれっぱ 〙との回答であった。
だが、本人たちは、現在、日常では、まったく使っていないそうだ。 大夕張での思い出のなかに生きている言葉のようである。
この〘 けれっぱ 〙と〘 げれっぱ 〙発音について、1人だけ、私が、ネットでチェックしたときの結果の濁音の〘 げ 〙のことを言ったら、最初は、〘 けれっぱ 〙と言っていたのを、『もしかしたら、げれっぱとかげっぱとか言っていたかもしれない 』と、微妙に変化した。
この人物は、当時は可憐な女子生徒であったが、今では立派なオバアさんである。
ダンナは北見の出身であるが、私が電話をかけたときは留守だった。 2日後に再度電話したが、そのときも留守だった。
しかし、大夕張出身の彼女が、〘 けれっぱ 〙の件をダンナに伝えていたので、間接的に回答は得た。
その回答は、〘 けれっぱ 〙であった。〘 け 〙の発音は濁らず、清音である。
さらに、そのダンナは、ネットで〘 けれっぱ 〙もしくは〘 けっぱ 〙を検索したが、現出する記事は、いずれも、清音の〘 け 〙だったそうだ。
しかし、私が、バンコクからネットで検索して現出した記事では、いずれも濁音の〘 げ 〙である。 蓄積されている情報は、サーバーによって違いがあるのはわかるが、これは極端である。
??????
しつこく、バンコクから、ネットで検索し、〘 けれっぱ 〙という表記がでてこないだろうかとチェックしてみたが、徒労で、やはりでてこない。
マ、そのことはあさっての方向に置いといて、この〘 けれっぱ 〙という言葉については、こういう思い出がある。
鹿島東小学校5年生の6月のころ、担任の北澤( のちに鹿島中学校に転任後、結婚して小滝姓 )先生が、たしか、バスでの見学旅行について、我々菊組の生徒が乗るバスは、車列の最後尾であることを説明したときである。
そうしたら、いつもひょうきんなことを言う、苗字が M という男子生徒が、
『 勉強もいつもけれっぱだ 』
と突然言ったので、クラス中が大爆笑した。
鹿島小学校のことはわからないが、私が在席していた当時の東小学校では、朝礼や運動会などで、同じ学年が1列になって隊列を組んで歩行する場合、先頭が松組、そして竹組、梅組、桜組と続き、最後尾が菊組だった。
そういう習慣というか規則があったので、M が冗談をかましたわけだ。
ところで、元可憐な女子生徒で現在はオバアさんというのは、大夕張つれづれ#5「 再会 」に登場する女性で、北海道の10月にしては珍しく来襲した台風の雨の中を、私を引っ張り回した人です。
『 だって私は、札幌の田舎モンだもの、アハハハ 』
という、朗らかなニクメない人なんだなァ ••••••。
ヤカマシイけど ••••••。
そういえば、もう1回、私の投稿に出演していた。
続・大夕張つれづれ#67 「 鹿島中学校 K 組の理科の実験台 」がそれである。
そこでは、S 子という名で登場し、HR の時間、進行係の N という苗字の男子生徒の指示で、人研ぎの実験台に正座させらせている。
(2022年9月10日 記)
昭和23年11月 明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
けれっぱ
懐かしく聞く言葉です。心に響きました。
出身は大夕張ではありませんが夕張市清水沢です。
14歳まで住んでいました。
1964年東京オリンピックの年
父がオリンピックはワイドだぜのCM に乗せられて
白黒の18インチのテレビを買いました。
陸上競技で日本が負けるとけれっぱけれっぱと言っていた事を思い出しました。9⃣
「けれ」
「けれっぱ」
大人達との会話ではあまり使った記憶はないけれど、子どもたち同士の間ではよく使った。
なにしろ同年代でも早生まれで動きのトロい自分は、当然運動は得意でなかったし足を速くなかった。
それに加えて要領もよくなかった。
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普通、運動会の先生の「よーい」の合図でかまえ、「ドン」と同時に走り出すが、自分は、「よーい」を聞いてからかまえ、「ドン」となったのを聞いてから走り出す。
なので、となりの子が出たのを横目にみて走り出すようなかっこうだ。
当然、「けれ」「けれっぱ」は自分の定位置だった。
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もっとも運動会などの公の場で言われた記憶はあまりない。
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空き地や草っ原でかけっこをしたり、仲間にについていけずに遅れたときに、
「おまえけれだ」「けれっぱだ」
という言葉ではやし立てられていたような気がする。
「ふだん」と「真剣勝負」の場をわきまえた、当時の大夕張の子どもたちなりの優しさだったのだろう。