三菱大夕張礦業所 従業員寄宿舎本立寮/従業員宿舎の室内
昭和15年〈1940年)頃発行の、三菱大夕張礦業所発行の絵葉書の8枚を紹介するシリーズの最終回。
三菱大夕張礦業所、従業員寄宿舎本立寮とその宿舎の部屋の室内を撮影したもの。
従業員寄宿舎本立寮
全国各地から集めた鉱員で、主に若い独身者を収容した寮は、大夕張の各所につくられていた。
事務室があり、炊事場調理場などの施設を備えていた。戦後期には、住み込みで働く戦争未亡人の方もたくさんいたという。
・初音寮(初音沢)
・啓心寮(富士見町)
・緑荘(緑町)
・本立寮(代々木町)
・一心寮(代々木町)
・明倫寮(緑町)
・養生寮(緑町)
・誠和寮(緑町)
・清明寮(春日町)
・直心寮(春日町)
・鹿島寮(宝町)
・睦荘(千年町)
・黎明寮(千年町)
・朝日寮(千年町)
・桜寮(千年町)
・青葉寮(千年町)
この他、どこにあったかわからないが、
・明和寮
・青年会館
・愛敬寮
・大親寮
・親明寮
これらの名称は、『二十年史』(大夕張炭労S41年)などを中心に出てきた寮の名称をメモしていったものだが、数年前の手書きとあって、勘違いや間違いもあるかもしれない。本にも検索の機能があればと、いつも思う。
これらの寮は、住宅の増築など住宅事情の改善で取り壊されたり、妻帯者が住むようになって『◯◯寮』から『◯◯荘』に名称が変わったものもあり、『◯◯荘』という呼称で自分の記憶にある名称もいくつかある。
従業員宿舎の室内
部屋の中央に新聞を読みながら座椅子にあぐらをかいて座る男性。
身の周りに置かれた調度品を眺めていると、当時の炭鉱における独身生活者の理想的な部屋ということになるのだろう。
いつものように、画像を拡大しながら推量を交えて眺めていくと、
・遠く離れた故郷の家族と覚しき写真、姉弟が敷かれたゴザの上でお弁当を食べているような・・・。
・中庭に面して、開け放たれた広く大きい窓
・壁にかかけられた通勤用のカバン
・壁や柱に貼られたカレンダー
・窓辺の棚に置かれたポータブル蓄音機
・陶器製の土瓶、ヤカン
・ちょっとした書き物ができる文机の上には、灰皿と時計
・寒い冬にかかせないスチーム製の暖房
などなど
部屋の中のモノをみて、私はこのくらいしか発見できなかったが、『三菱大夕張礦業所 楽しき夕べの団欒/出勤風景』の写真と並んで、気がついたり、感じることができることの多い写真である。
8枚組の絵葉書について↓