昭和19年 鹿島国民学校職員
鹿島国民学校の職員写真だろう、「だろう」というのは、昭和19年の記載しかなくメモ的なものがないからだ。
それでも当時、鹿島国民学校の訓導であった祖父の姿が後列左端に、昭和19年時の学校長であった丸刈りの内山清治校長の姿が最前列向かって右から4人目に見える。
また、『昭和14年 大夕張尋常高等小学校 集合写真』にも同じ人物だろうと思われる方を見ることができる。
場所は、当時の校舎内の一教室か。掲示物が壁に貼り付けられている。
さて、ここに30名(男性12名、女性18名)の方々がうつっている。
尚、内山校長が伊沢校長にかわり、着任したのは昭和19年(1944年)の7月20日である。
鹿島小学校閉校記念誌「かしま」掲載の名簿には、氏名とともに、着任、退任の期間が掲載されている。
そこから、昭和19年7月20日以降に在籍していた教職員のお名前を記すと次の様になる。
〈以下、名簿上昭和19年中在籍していた方々・着任順〉
・小林清次・佐藤力雄・外山正平・山本栄治・長谷川安造・村山豊・新保哲司(8/31退任)・櫻井功・新田勝雄・内山清治・山下克己(8/31退任)・佐々木充(12/15退任)・三井健太郎・村林栄悦・原田健治・岡本司(9/30着任)・米田正實(9/30着任)
・武藤タミ・山平セツ・杉森光枝・根引千鶴子・石崎アヤ子・渡邊和・早坂さち・井上静子・納村トミ子・佐藤カヂエ・照井フヨジ・梅野美知代・照井末子・瀧川絹子・浦上了子・平柳フミ子・牧野シゲ・森クニ・近藤よ志子
以上男性17名、女性19名の36名の方々である。
年度中の着任、退任があり、時期によって人数も違うが、写真の30名に一番近い人数を想定すると、9月中だと、男性13名、女性19名の計32名となる。
そうだとすると、男女ともに一名写っていないことになるが・・・。
このころの学級数と児童数を示したものがある。
昭和16年 | 1941年 | 25 | 1523 |
昭和17年 | 1942年 | 31 | 1712 |
昭和18年 | 1943年 | 33 | 1805 |
昭和19年 | 1944年 | 33 | 1977 |
昭和20年 | 1945年 | 36 | 2043 |
おそらく春先の数値を基準にしているのではないかと思われるが、戦時下で児童数が激増しているにもかかわらず、学級数が追いついていない様子が見て取れる。1学級平均人数でみると、昭和18年が約54.7人、昭和19年には約59.9人となっている。
1クラス1担任で、学校として最低33人の担任が必要だったろう。それでも一人で60名の児童を指導することになる。
児童の増加は続き、戦時下という時勢、年度途中での職員の異動もそういった事情も大きく影響していると思われる。