札幌にあった三菱の宿泊施設 最終編
札幌にあった三菱の宿泊施設について以前話題になったことがあった。
その時、話にでた三菱の宿泊施設は、2カ所あった。
北1西8にあったという『三省寮』と、南3西23丁目あたりにあったという『円山?寮』
雪祭り見学や、受験、就職試験、スキー部遠征の時に大夕張から札幌に出てきて利用した宿泊施設。
今回はその最終編にするつもりで、札幌市中央図書館にでかけてきた。
昭和45年の札幌市の住宅地図でその位置を確かめるためだった。
昭和45年のゼンリンの札幌市住宅地図を地図を調べた。
閲覧を始めて『三省寮』はすぐにみつかった。
記憶の通り周囲を建物に囲まれた仲通にあった。
地図は上方向が北方向である。
区画の上半分(北)が北一条通りに、下半分(南)が大通りに面していて、南側の建物の住所は『大通り西8丁目』になる。
だから南側にある『三省寮』も正確には『大通り西8丁目』になるのだろうか。
航空写真で見てみたが、現在はビルが建ち並び、かつての面影はまったくない。私自身、このあたりの仲通りは、車で何度も通っているが、ここに『三省寮』があったという記憶とはまったくつながらなかった。当然だが、それほど変わっていた。
すぐに見つかった『三省寮』だが、この調子ですぐに見つかるだろうと思って、円山にあったという三菱の寮を探し始めた。
南3条西23丁目の区画を中心に探し始めた。
次に、南3条西23丁目を中心に範囲を大通りから南6条あたりまで広げて見ていった。
ご存じのように、札幌市は、条丁目が、碁盤の目のようになっていて探しやすい。
しかし、見つからない。
会社の寮や社員アパートには、企業の名前が書かれていた。区画としてどんなに狭い範囲にでも細かい字で企業名がかかれていた。
たとえば、住友鉱業KK円山寮(大通西21)、大林組南円山寮(南5西25)・・・・ 、その他にも数多く、このあたりは企業の寮やアパートが多くあるようだった。
札幌に住んでいる人には、札幌医大・北星学園のあたりから、円山坂下までの範囲といったらよりイメージしやすいだろうか。
縦は、大通りから南6条まで、横は、西16丁目から西28丁目までの範囲で、区画を潰しながら探してみたが、『三菱』の文字は見つけることはできなかった。
表記上の違いで掲載されているかもしれないと、続けて、昭和31年、昭和44年、昭和46年の札幌市の同地域の住宅地図を出してもらったが、結果は同じだった。
『三菱』と付く名前の宿泊施設ではなかったのか。
そうなると手がかりはないので見つけようないが、どんな名称で掲載されたのであれ、見ていった中にはきっとあったのでしょう。
秋日半日をかけての時間となったが、その間、円山公園坂下の今は『マルヤマクラス』というショッピングモールが建っているところに、「ホテル神宮閣」の懐かしい文字を見つけたり、元鹿島小学校校長で退職後、円山に居を構えたという内山清治先生の居宅を見つけて、生前祖父がよく「円山の内山校長に世話になった」といって昔話をしていたなあと思い出したり、そんな個人的な発見もありで、楽しい時間を過ごすことができた。
ちなみに昭和45年の南3条西23丁目周辺は、次の様になっている。
家が近いので、南3条西23丁目の聞き取りしてみた。結果、日本甜菜糖(株)円山荘くらいしかこの一角には存在しなかったと聞いた。敷地も、戦後まもなくの頃には既に同社の所有だったようです。
そうなんですか。
聞き取り調査!
貴重な情報ありがとうございます。
あのあたり、円山裏参道から住宅・マンションの中にレストランやカフェが点在していて、自分も何回か食事やお茶しに行ったことがありますが、きっと当時三菱の寮に宿泊した人でももうわからないでしょうね。
あの周辺のどこかに三菱の所有地があったんだろうとは思いますが。