1964 東京オリンピック | ziny
昨日、今日と台風18号はすごい雨と風の勢いでした。
昭和37年の夏の記憶ですが大夕張にも台風が来襲し、シューパロ川の磯次郎のあたりには、吹き飛ばされた木が、ざぶ、ざぶと流れてきたのを思い出しました。
我が家の鶏小屋の屋根も吹き飛ばされました。
東北、北海道の皆さま・・お気をつけ下さい。
2020年、東京でのオリンピック開催が決まりました。
私は所沢在住ですので、是非、開会式やいろんな競技を観たいと思っております。
7年後は、まだ、元気でテニスをしている予定ですが、どうでしょう?
1964年・昭和39年10月10日、大雨明けの快晴の土曜の午後。
東京オリンピックの開会式。
我が家は、まだ白黒テレビにレンズをかぶせたものだったでしょうか?
上の売店(栄町の購買会)の電器屋さん(櫻田電器?)の総天然色テレビ(カラー)で開会式を見学しました。
(代々木町二丁目なので、栄町の店を上の売店、春日町に降りるところの店を下の売店といっていました。)
聖火最終ランナーの坂井選手が、国立競技場の聖火台の階段を上っていくのをじっと見ていた記憶が鮮明です。
聖火着火の時と、真っ青な空にブルーインパルスが五輪の輪を描いた時は感動でした。
中学2年の時で、視聴覚室でオリンピックのテレビ鑑賞もありましたが、これもまだ白黒だったと思います。
バレーボールの東洋の魔女や三宅選手の重量上げは感激でしたね。その後、ウエイトリフティングも流行り、私も片手で30キロ程を挙げて鍛えていた記憶です。
視聴覚室で思い出しました。
当時、クラスでなんとか委員というのを選んでいました。
男子は詰襟に委員のバッチをつけていましたね。
視聴覚委員は黄色で銀色の縁取りがあったと思います。
学習委員は濃い紺で、群青色でしょうか。
私はどちらもつけたかなー?。
白いバッチもありましたが、生活委員だったでしょうか?。
実際の役割はあまり覚えがありませんが、オリンピック開催決定で蘇った懐かしい記憶
です。
7年後を楽しみに元気に暮らしたいと思います。
来年、鹿島・大夕張も湖になりますが、7年後にも訪ねて行くことでしょう。
(2013年9月16日 記)