母と大夕張 |あずき

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 私の母は親が営林署勤務であったこともあり、小学校時代は道内あちこちを転々としていました。

 母は昭和42年ごろ、1年間だけ大夕張に住んでいたそうです。

 
 錦町に営林署があったはずです。

 

 

 母はその裏手の線路端にある職員住宅に住んでいたそうです。

 

 そのころはまだ大夕張にも1万人以上の人口があり、母は自分が鹿島東小学校に通っていたこと、中学校の方に行くのに古いつり橋を渡って怖かったこと、営林署の人たちと映画館でよく映画を見たこと、などなど、いろんな思い出話をしてくれました。

 

 鹿島東小の校歌も最後のフレーズだけは覚えていました。

 
 7、8年前、家族旅行の際、三笠方向から車で通り過ぎました、

 
 あんなにたくさんあった炭住も、自分の家も、ピアノを習った教室のあった建物も、学校も、全部なくなり、すっかり静まり返ってしまった町並みを見て、母はただただ驚くばかりでした。

 
 最近このホームページを見つけ、母にも大夕張の写真などを見せたりしています。それを見るたびに母はいろいろなことを思い出すようです。

 

(2003年4月15日 記)


随想

1件のコメント

  • 熊はねえ凄く賢いんだよ。弁当箱の蓋を開けて中を食べて又戻してあるのさ。
    子供心にそんな馬鹿なと話半分に聞いていた。帰宅時にはフキとか蕨タケノコが背負いのバックみたいのに入っていた。
    営林署という話も記憶にあるのでアルバイトでもしてたのか?
    札幌に来てからもドライブの途中でフキを見つけると止められた。私はフキは長いこととても嫌いな食べ物だった。

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