七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny
2022-12-01
18132
我が家の親の部屋に大夕張鉱業所の記念の皿が飾ってあります。
直径26cmの白地の皿に、紅梅の一枝に咲く数輪の花と蕾と、うぐいすが描かれ、皿の中央寄り縦に右から
【 心を一つにして 社長 大槻文平 】と記されております。
裏面には【 七万屯突破記念 昭和41年3月 三菱大夕張鉱業所 】と金文字です。
前から気になっていたので、調べてみました。
大槻文平氏は、昭和3年に三菱鉱業に入社、労働部長などをへて、昭和38年に社長。
脱石炭,多角化をすすめ、合併により生まれた三菱鉱業セメント(現三菱マテリアルの)社長。
労務畑が長く炭鉱合理化の際には「首切り文平」のあだ名があったらしい。
昭和54年からは日経連会長も。
しかしながら、炭鉱の労務係から職歴をスタートしたため、会長になっても質素な生活?をしていたとのこと。
「日本人はぜいたくになり、何もかもが派手になりすぎている。物心ともにハンブル・ライフ(つつましい生活)に徹すべきである。」
とも言っていたとのこと。
平成4年に故人。
昭和41年は私たちが東高校に入学した年です。
その頃は、炭鉱も最盛期を過ぎたころだったでしょう。
7年後には閉山となるのですから。
「七万屯突破」とは、いつの時点からのカウントなのかはわかりませんが、この皿は節目の記念として作られたものなのでしょう。
(2012年7月1日 記)
7万tとは、多分月産7万t突破の事と思います。
小学生か、中学生の頃のこと。
おそらく記念の皿は我が家にもあったと思う。
さすがに実物の印象は覚えていないが、『大槻文平』という名前を初めて知ったのは、金箔で打たれたまさにその文字だった。
当時大夕張にいる所長の他に、遠い東京に住んでいる大槻さんという社長がいるんだなと、漠然と思った。
そのため大夕張の記憶とともにずっと忘れることはなかった。