木造校舎取壊し
2022-12-15
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今から20年以上前、白黒写真でこの写真を鹿島小学校の郷土室で見たときは、木造校舎がないこの姿はけっこう衝撃的というかインパクトが強かった。
全盛期の新校舎と木造校舎が対になった姿を知る人にとっては違和感を感じた写真かも知れない。
鹿島小学校の沿革を辿ると、昭和3年の開校以来、幾度も校舎の増改築は行なわれてきたが、昭和43年以降は児童数の減少と木造校舎の老朽化による解体と改修が進んだ。
昭和45年10月には、石炭庫と視聴覚(映画室)室。
昭和46年8月には、昭和14年に建築された便所と廊下の部分。
昭和48年4月には、東側 1、2階の8教室、南側廊下と中庭の渡り廊下。
昭和49年6月に、非常階段を除く全木造校舎部分。
東映の漫画映画や、科学教養番組のドキュメンタリーなど、数多くの映画が記憶に残る映画教室、
寒く薄暗く、走るとミシミシと音がする教室廊下、父とランドセルを取りに戻った東側玄関、
長い階段を下って行くのが大変で、数多くの言伝えがあって昼でも暗くて『怖かった』便所・・・
そして新しく憧れだった新校舎の教室。
写真を見たときのインパクトは、数多くの思い出の場所が消えた瞬間に思わず立ち合ってしまったような気持ちだったのかもしれない。
木造の体育館が取り壊されたのも、この頃のことだろう。
そして、新校舎の隣の地には新体育館が建った。
完成までの間、一時期栄町の健保会館が体育館として使用されたという。
東小との併合、鹿島中の併設を経て、その何十年後、すべてが喪われることになったのだが、その校舎跡地には一本の大きな木が残され今に残る。