闘犬のはなし| 泊川俊徳

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 子供の頃、春日町の川原で闘犬をしていて、興行を何度か見に行きましたが、短い流行だつた感じでした。

 

 4メートル位の円形で、角材の柵の中で闘犬が行われていました。

 

 闘犬も専門的に訓練されて無い感じで、場当たり的に戦っていたようでした。

 

 
 一時的な流行でした。

 

 当時、子供ながらに感じたのは『賭け闘犬』で、警察の指導で闘犬が中止に成ったのでは、と思っているのですが。

 
 短い期間の闘犬、なぜ早く終わってしまったのか本当の訳は、解らずじまいです。

  

 

 

 
 代々木町に住んで居た頃、隣に住む住人も、闘犬を飼ってました。

 

 犬を入れていた小屋の戸の木が腐れていて、大きな闘犬が戸におしかかると今にも壊れそうな感じ、そんな戸でした。

 

 

 飼い主の家族の食事より、闘犬の食事の方が豪華な感じでした。

 

 いつ腐れた戸が壊れて、飛び掛かって来るかと、何時も不安でした。

 

 
 その闘犬も、知らぬ間に何処かに行ってしまい、一安心。 

 

(追伸)

 

 昭和30年頃、大久保建設工業の初代社長が飼っていた『血統書つき土佐犬』が、全国横綱になったことがありました。

 

 全日本の横綱を2年くらい張っていたといいます。

 

 横綱用化粧まわしをつけた、絵で言えば50号くらいの大きな写真があったそうです。

 

 写真をもらった人もいたとか。

 

(2000年4月16日 記)


思い出ばなし


 

1件のコメント

  • 大久保組の話をよんでいて、ふと「鉄平氏亡き後、清一氏が大井組を引き継ぎ、大久保という人物を外部から迎い入れ事業を継続する」という『大井組と大井質店』の中の話が思い浮かんだ。土木関係の事業者だっただろうから、同じ人物だったのだろうか。
      
    それにしても、大夕張では外の犬小屋で犬を飼っていて、学校帰りに給食のパンをカバンに入れて帰り、犬にやっていた。
    どちらかというと大きくてよく吠える犬が多かった。餌をやるにしてもおっかなびっくり、腰が引けていたが、それでも興味があった。
    もちろん今では、他人の家の犬に餌をやることはもちろん、学校の給食パンを持ち帰ることなど認められない。
     
    _闘犬の写真のページは、こちら_

    闘犬の記憶

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