月: 2023年2月

大夕張の企業 三菱大夕張礦業所 (昭和36年 夕張市の企業と名士録から) あらかると

大夕張の企業 三菱大夕張礦業所 (昭和36年 夕張市の企業と名士録から)

(大夕張礦業所)   【位 置】 三菱大夕張礦業所は国鉄清水沢駅より、北に17.5キロ離れた鹿島一番地にあり、夕張川の上流海抜319メートル、やや平坦な地形をなしている。   【沿 革】  同鉱の発端は、明治31年であるが、同39年現在の南部に事務所を置き、京都合資会社が開発に着手した。    大正…
座席をゆずる| 高橋正朝 #133 続・大夕張つれづれ

座席をゆずる| 高橋正朝 #133

    私の母親のすぐ下の妹、すなわち叔母が、当時住んでいた栄町から、明石町番外地の我が家に、赤ん坊を負ぶってよく遊びにきていた。       あるとき、赤ん坊を負ぶった叔母が、汽車に乗ったとき、北沢先生に席をゆずられ、大変感激したことがあった。       私が、鹿島東小学校4年生の初夏のころだっ…
「約束」と私のカエデの原風景 |小野美音子 随想

「約束」と私のカエデの原風景 |小野美音子

 北海道はしんとした静かな雪景色のようですね。   雪の少ない地にいる私には、懐かしい風景です。    緑ヶ丘の私の家は、左手に教会への坂、鹿島小の旧体育館。  右手は泉町や宝の沢、対岸には岳富町付近を通る汽車や、錦町の炭住が見渡せ、大夕張としては素晴らしい眺望に恵まれていました。   ただ、家が崖…
春まだ遠く(1999年3月)|長谷川潤一 訪問記

春まだ遠く(1999年3月)|長谷川潤一

   大夕張の近況報告第1部です。3月の21日に大夕張へ行って、写真を撮ってきました。  鹿島小学校の玄関前まで除雪が入っており、解けた雪がまた凍れてグランドなど全然埋まらずに走り回れました。  新しいポストの周りだけは雪かきがされていて、ほんとに誰が出すんでしょうか?「そこの旅のお方?」それとも大…
大夕張の石 2丁目3番地

大夕張の石

   写真の石は、1968年(昭和43年)頃、父と鹿島小学校1年生だった弟が、官行の河原へ出かけて拾ってきたものだ。    シューパロ川の上流、林道の橋が見えるあたりまで入ったという。    父が亡くなった時、周囲の大人達から「あなたのお父さんは、多趣味な人だった」と聞かされた。    そのなかの一…
雪景色 |久々湊眞一 随想

雪景色 |久々湊眞一

 北海道は大雪のようです。    雪かき(やらなくなったので忘れそう)で、大変でしょう。そういう情景を思い浮かべていたら、あることを思い出しました。   写真兼遊びで各地を撮影旅行しましたが、時々ハプニングがあります。  数年前、冬の山形での出来事を紹介します。    大夕張の風景を思い出しながら、…
夕鉄バスの前にて 2丁目3番地

夕鉄バスの前にて

   大夕張が『陸の孤島」とよばれていたころ・・・。  石炭列車につながれた客車に乗って、一時間揺られて出かけていった夕張。    清水沢で国鉄に乗り換えた先の鹿の谷では、車窓から見る広い構内にたくさんの機関車や貨車が留め置かれている様子に目を見張り、終点の夕張駅で降りると、工場から聞こえる鉄を打つ…
昭和27年 鹿島東小学校 野球チーム  学び舎の思い出

昭和27年 鹿島東小学校 野球チーム 

 鹿島東小学校閉校記念誌(昭和53年発行)の『かずかずの思い出スナップ』より。    写真に付けられたキャプションには、   『千年町チーム 野球優勝の感激 -昭和27年頃-』 とある。    写っているのは、町内対抗で行なわれた野球の大会に出場した千年町チーム。     千年町チームは、もちろん鹿…
エスカレーター  |  高橋正朝 #132 続・大夕張つれづれ

エスカレーター | 高橋正朝 #132

    私が、生まれて初めてエスカレーターに乗ったのは、夕張市本町にあった百貨店〘 おかむら 〙だった。      当時、大夕張にあった最も大きい商店は、三菱購買会だったのは、皆さんご存知のとおりだ。       子どもであっても、マンガ、テレビ、映画などで、百貨店のことは知っていた。  『続・大夕…
昭和52年大夕張パノラマ パノラマ

昭和52年大夕張パノラマ

神社からの写真5枚を貼り合わせて一枚のパノラマ写真にした。   昭和52年 大夕張全景(神社の山から)   富士見町方面 栄町・代々木町方面 大夕張駅付近 鹿島小学校グランウンドと緑町 鹿島小学校と千年町方面…
昭和52年の大夕張全景(#5/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#5/5)

 昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの鹿島小学校の裏、宝沢・千年町にかけて望む最後の一枚。    それにしても、手前の神社登り口周辺の木々の繁殖ぶりが、やけに目につく。    全景写真『大夕張秋暮色』に、昭和49年に同じ場所から撮影された、岳富千年…
昭和52年の大夕張全景(#4/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#4/5)

昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 ここに見える弥生町、そして川沿いの春日町は閉山直後にすべての炭鉱住宅が取り壊され緑の広野になっている。 浴場の建物が残る緑町もその半分になった。   鹿島小学校の東側に新体育館が建設中だ。     昭和5…
昭和52年の大夕張全景(#3/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#3/5)

 昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。  理容フレンド裏、石炭置き場への鉄道の引込線のあった辺りや、購買会バックヤード、倉庫群などがあった辺りが中心に写る。  三菱大夕張炭鉱閉山の直前、鹿島の人口およそ11000人から閉山を経て4年、住民は約…
昭和52年の大夕張全景(#2/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#2/5)

昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 三菱大夕張炭鉱閉山から4年目。 栄町2丁目から代々木町にかけての木造の炭鉱住宅がなくなっているのが、すぐに目に付く。 栄町の購買会支所や、かつての炭鉱病院、健保会館も赤茶けた錆の浮いたトタン屋根が目立つ。…
北海道弁•••••• なまずるい、へなまずるい | 高橋正朝 #131 続・大夕張つれづれ

北海道弁•••••• なまずるい、へなまずるい | 高橋正朝 #131

   これも、現在の北海道弁からしたら、博物館行きの言葉かもしれない。  ネットでチェックしたら、この言葉の記事は少ない。  大夕張の子ども時代には知っていた言葉だが、使用頻度は少なかったように思う。  しかし、インパクトがあった。        その少ない記事のなかで、まったく知らなかった考察があ…
昭和52年の大夕張全景(#1/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#1/5)

昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 三菱大夕張炭鉱閉山から4年目。 手前のスキー場から奥のズリ山までの間、富士見町には残されたブロック住宅とともに、啓心寮、倶楽部といった会社の建物がまだ残されている。  …
常盤町川沿の炭住 昭和34年頃 思い出の街角

常盤町川沿の炭住 昭和34年頃

手前のつり橋は、千年町と常盤町を結ぶ初代暁橋、奥にはバス(山内線)も走った旧鹿島橋が見える。 鹿島橋の側には鹿島東小学校の校舎。   昭和24年(1949年)に住宅地として山林を開き新築完成した常盤町の炭鉱住宅街だったが、大夕張ダム関連の工事で、昭和36年に暁橋と鹿島橋は新しい橋に付け替えらた。  …
ある郵便局員の回想 随想

ある郵便局員の回想

  郵便配達 突然の異動だった 悪いことに、異動の前後は その配達地域が割り当てではなかった。   40年ちかくになるだろうか。 久しぶりの訪問だった。   あの家は、たしか自分の隅では 小学4・5年くらいの男の子が二人?・・・ 小さな女の子が一人?・・・   家を支えていたのは婦人で、その家の大き…
化石の街|市橋 勝 随想

化石の街|市橋 勝

ふるさとの街はもうどこにもない   僕が帰れる街はもうどこにもない    優しく出迎えてくれる場所はもうどこにもない    いつか水の底に沈むという小さなふるさと   あの日の小さな想い出と一緒に深く静かに横たわる   いつまでも忘れないでおくれたとえ名も無き花だとしても   いつまでも忘れないでお…
雪煙(ゆきけむり) 2丁目3番地

雪煙(ゆきけむり)

 子どもの頃、家に幻燈機があった。  白い布を板壁に張り、そこに映し出される父がとった家族の写真をスライドで見るのが楽しみだった。    「げんとうしよう!」    いつもそんな言葉でおねだりした。    当時リバーサルフィルムは高価なものだったろう、そんなに枚数が多かったわけではない。    それ…