闘犬のはなし| 泊川俊徳
2023-01-20
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子供の頃、春日町の川原で闘犬をしていて、興行を何度か見に行きましたが、短い流行だつた感じでした。
4メートル位の円形で、角材の柵の中で闘犬が行われていました。
闘犬も専門的に訓練されて無い感じで、場当たり的に戦っていたようでした。
一時的な流行でした。
当時、子供ながらに感じたのは『賭け闘犬』で、警察の指導で闘犬が中止に成ったのでは、と思っているのですが。
短い期間の闘犬、なぜ早く終わってしまったのか本当の訳は、解らずじまいです。
代々木町に住んで居た頃、隣に住む住人も、闘犬を飼ってました。
犬を入れていた小屋の戸の木が腐れていて、大きな闘犬が戸におしかかると今にも壊れそうな感じ、そんな戸でした。
飼い主の家族の食事より、闘犬の食事の方が豪華な感じでした。
いつ腐れた戸が壊れて、飛び掛かって来るかと、何時も不安でした。
その闘犬も、知らぬ間に何処かに行ってしまい、一安心。
(追伸)
昭和30年頃、大久保建設工業の初代社長が飼っていた『血統書つき土佐犬』が、全国横綱になったことがありました。
全日本の横綱を2年くらい張っていたといいます。
横綱用化粧まわしをつけた、絵で言えば50号くらいの大きな写真があったそうです。
写真をもらった人もいたとか。
(2000年4月16日 記)
大久保組の話をよんでいて、ふと「鉄平氏亡き後、清一氏が大井組を引き継ぎ、大久保という人物を外部から迎い入れ事業を継続する」という『大井組と大井質店』の中の話が思い浮かんだ。土木関係の事業者だっただろうから、同じ人物だったのだろうか。
それにしても、大夕張では外の犬小屋で犬を飼っていて、学校帰りに給食のパンをカバンに入れて帰り、犬にやっていた。
どちらかというと大きくてよく吠える犬が多かった。餌をやるにしてもおっかなびっくり、腰が引けていたが、それでも興味があった。
もちろん今では、他人の家の犬に餌をやることはもちろん、学校の給食パンを持ち帰ることなど認められない。
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