番外編:さっぽろ雪祭り
2023-02-04
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大夕張から札幌に、『雪祭り』見物に出かけた人も多いだろう。
アルバムに一枚の『雪祭り』の写真があった。
当時親戚もいない札幌の町には滅多にでかけることもなく、それでも「さっぽろ雪祭り」は、写真があったために自分の記憶に残り続けた。
何歳の時にでかけたという記憶もなかったが、『大鵬』が大雪像になっている大会は、さっぽろ雪祭りの公式ホームページによると、昭和37年(1962年)のことだった。
「さっぽろ雪祭り」は、市内5校の中、高校生らの雪像づくりから始まったという。
その1950年を第1回とし、この年は第13回となる。1955年からは、雪像づくりに自衛隊が参加している。
1962年の大雪像は、自衛隊制作の1基と札工高、学芸大が自衛隊に協力した2基が制作された。
開催期間は、2月2日~2月4日の3日間で、来場者数は89万人だった。
大夕張から出かけていった昭和37年(1962年)の札幌。
この時、湖畔の道路は明石町から先は工事中で陸路はなかった。
当時の札幌には、最寄りの大夕張炭山駅から鉄道で清水沢駅に出た。
清水沢駅では、人出の多い駅の跨線橋を渡り、夕張からやってくる国鉄のディーゼル車に乗り換え、追分経由で札幌に行ったというのは、この頃の記憶。
写真を見ると、大通公園の周囲の建物など今と比べるまでもないが、当時人口2万人の町からやってきた子どもにとって、デパートの屋上にアドバルーンが上がり、背の高いビルディングが建つ、人口約66万人の札幌の街は大都会だった。
明石町から先の道路が開通し、盛大な開通記念行事が行なわれ、『陸の孤島』から脱したのは、この年の秋10月のことだった。