雪煙(ゆきけむり)
子どもの頃、家に幻燈機があった。
白い布を板壁に張り、そこに映し出される父がとった家族の写真をスライドで見るのが楽しみだった。
「げんとうしよう!」
いつもそんな言葉でおねだりした。
当時リバーサルフィルムは高価なものだったろう、そんなに枚数が多かったわけではない。
それでも色の付いた家族のカラー写真が、電気を消した真っ暗な部屋で、大きく壁に引き伸ばされ映し出される様は、非日常の世界で、何度も飽きること無く、くり返し見た。
スライド写真の内容は、すっかり忘れてしまったが、我が家に残っているものもある。
下はその中の一枚で、父が撮影した写真の中で機関車が写っていたものはこれだけだ。
おそらく昭和30年代半ばの大夕張。
場所は不明だが、右上は、崖のようなものが写っているようだ。千年町郊外、明石町駅から千年町駅に向かう列車だろうか。
普通乗り物を中心に写真を撮影となると、前面を入れたくなるものだが、この写真は欠けている。
給炭車のかたちからすると、たぶん『No.3』という金色に輝く文字のプレートが見ることができただろう。
機関車をねらってタイミングが外れてしまった写真なのかなと、スライドを見つけてからずっと思っていた。
しかし最近、父がとりたかったものは、最初から列車ではなかったのかもしれないと思うようになった。
鉄道沿線に住んでいないし、利用する機会も滅多にないので鉄道と縁もあまりなくなったが、大夕張はせまい街の中心に駅と線路があり、石炭を運ぶ列車が走った。
学校の登下校、買い物への行き帰り、遊びといった生活の中に必ず線路があった。
冬、線路のそばにいると粉雪を舞上げて走る石炭列車に、頭から雪を浴びせかけられた。
子どもだから列車が近づくと、わざとその中に身を置き、頭から雪をかぶることを楽しんでさえいた。
そんなことを思い出しながら写真をみていると、あの白い煙をふき上げ、蒸気で雪を地を払いながら突進してくる機関車が巻き上げる、雪煙の迫力を、父はとらえたかったのではないかと思った。
木造の有蓋車が現役の時代ですね。