エスカレーター | 高橋正朝 #132
私が、生まれて初めてエスカレーターに乗ったのは、夕張市本町にあった百貨店〘 おかむら 〙だった。
当時、大夕張にあった最も大きい商店は、三菱購買会だったのは、皆さんご存知のとおりだ。
子どもであっても、マンガ、テレビ、映画などで、百貨店のことは知っていた。
『続・大夕張つれづれ #6 交通信号機』 に書いたが、鹿島東小学校4年生のとき、札幌に見学旅行に行ったことがあった。
そのときは、古谷製菓と北海道新聞社を見学するのが目的だったから、丸井今井デパートや三越デパートの中に入ったわけではなかった。 したがって、エレベーターやエスカレーターの実物には接しなかった。
初めて〘 おかむら 〙のビルに入ったとき、購買会に比して、文化の匂いを感じた。
大げさな表現と思うかもしれないが、本当にそう思ったのだ。
〘 おかむら 〙に入ったら、エスカレーターがあった。
さっそく乗ろうとした。
自分の足を、動いているエスカレーターのステップに乗せようとしたが、なかなかタイミングが合わない。
足先で、チョンチョンとステップに触れる。 3、4回目ぐらいで、ようやく体をエスカレーターに乗せることができた。
この部分を読んで、ニヤニヤとした人がいるでしょう。 しかし、そのうちの幾人かは、私と同じ経験をしたに違いない。
陸の孤島に住んでいたわけだから、〘 おかむら 〙の正式な名称は知らなかったので、ウイキペディアでチェックしたら、〘 丸丹おかむら 〙とでていた。
エレベーターに乗った記憶がなかったので、ウイキペディアの記事を読んでいったら、従業員専用エレベーターはあったが、客用エレベーターはなかったことがわかる。
従業員専用エレベーターと書かれているが、荷物用エレベーターには言及がないので、この従業員専用エレベーターは、おそらく、荷物も運ぶ、人荷用エレベーターだったと思われる。
私が、エスカレーターに乗る際、留意してることがある。
それは、エスカレーターに乗っている前方の人との空間である。
昇りも降りも同様だ。 車間距離ならぬジンカン距離を保つようにしている。
ラッシュアワーの時間帯はどうにもならないが、通常時は、前方の人との空間は、最低でも、5ステップは離れるようにしている。 理由は、危険な状況を避けるためである。
昇り方向のエスカレーターに乗っているとき、前方の老人女性が、エスカレーターの到着口のフロアの所で、立ち止まって、キョロキョロしたのにぶち当たりそうになった経験があったからだ。
もう、50年以上も前の話しで、池袋での百貨店だった。
札幌は、東京よりは、人の流れの量は少ないのだが、昇りエスカレーターに乗っていた老人数人が、到着地点のその場に佇んで、アッチだコッチだと相談し始め、エスカレーターを歩行する人のために空けてあるスペースを上っていったネクタイ姿の青年がぶつかりそうになり、その青年が、老人たちに、ちょっと怒った口調で注意していたのを目撃したこともある。
老人たちが佇みやすい場所は、地下道から、札幌駅1階への昇りエスカレーターでの1階である。
大丸百貨店の出入口に近い。
いちいち数えたわけではないが、その場所での老人の井戸端会議は、10回ぐらいは目撃している。
エスカレーターに乗っている前方の人たちだけでなく、私の後ろに続く人たちにも留意している。
特に、降りエスカレーターに乗ろうとしたとき、後ろを振り返り、幼児を乗せたベビーカーを押してきた人やショッピングカートを押してきた人がいれば、それらの人を避けるため、そのときはエスカレーターにすぐには乗らず、暫し待つことにしている。
(2023年2月18日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
「おかむら」のエスカレーター、
通りの角の玄関から入って正面の割と近い位置にあった記憶・・・図面を見て確かめたわけではないので、あくまでも記憶だが・・。
エスカレーターとの出会いは、ここからだった。
高橋さんの言うとおり、自分もここを読んでニヤ二ヤしたうちの一人。
動くエスカレーターに乗るのに、なかなかタイミングが合わずに苦労していた。
運動神経が良い人ならすぐに慣れた人もいるかも知れない。自分は、スムーズに乗れるまでにずいぶん時間がかかった。
なにせ、エスカレーターを利用する機会もなかった。
ところで全然関係ない話だが、「エレベーター」のことについても書かれていて、自分は「エスカレーター」と言葉で聞いても、文字づらでもよく混同することがある。
今回も、「エレベーター」が「エスカレータ-」でないことに気がついたのは、2度目に読んだ時だった。
これは、トシのせいではなく、以前からそうだ。
自分だけなんだろうけれども・・・。