夕鉄バスの前にて
大夕張が『陸の孤島」とよばれていたころ・・・。
石炭列車につながれた客車に乗って、一時間揺られて出かけていった夕張。
清水沢で国鉄に乗り換えた先の鹿の谷では、車窓から見る広い構内にたくさんの機関車や貨車が留め置かれている様子に目を見張り、終点の夕張駅で降りると、工場から聞こえる鉄を打つ音や、蒸気が湯気をたてて吹き出す音が聞こえてきて、活気のあるにぎやかな街の風景に胸を躍らせた。
中でも本町商店街(2丁目)にあった『おかむらデパート』は自分が知らなかった『都会』の趣を感じさせた。
生れて初めて『エスカレーター』なるものに乗ったのもここだった。
昭和35年頃、夕張市本町1丁目の『山賀菓子店』に叔母夫婦といとこが住んでいた。
そのころ、家族で遊びにいくことが年に数回あった。
山賀菓子店があった場所は、北炭の炭鉱病院と商店街がある高台に向かう坂の登り口のあたりにあった。
店の前は、シホロカベツ川を跨ぐ橋がかかり、橋を渡ると当時の夕張駅方面に向かって道路が続いていた。
バスの停留所が店の前にあり、終点夕張駅の一つ前だったような気がする。
平成になってそのあたりを何度か訪ねたことがあるが、ついにその場所ははっきりとはしなかった。ここも街の様子が変わり過ぎていた。
この写真は、 小学校に入学する前の頃だろうか、たぶん夕張駅前でとられた自分の写真。
父に言われてポーズをとっている。
「手を伸ばしてバスにさわってごらん」
「はい笑って」
そんな言葉がかけられただろう。
しかし、本人は、緊張のため、顔をゆがめている。
今にも泣き出しそうな表情。
笑うどころではなかった。
バスが今にも動きだしそうで気が気ではなかった。
怖くて仕方なかったからだ。
運転手さんがやってきたら・・・
エンジンがかかったら・・・
バスのそばを飛び退いたに違いない。
その時の怖かった思いは、今でもはっきりと覚えている。
写真には、夕鉄バスの『HINO』と、『ブルーリボン』の前面のエンブレムが映り込んでいる。
夕鉄バスが鹿島を走るようになった昭和37年以降、大夕張を走る三菱バスと、夕鉄バスの違いを、塗装とこのエンブレムの違いで覚えていた。
今はどこのバスも区別はつかない。バスはバスでしかなくなった。