座席をゆずる| 高橋正朝 #133

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 私の母親のすぐ下の妹、すなわち叔母が、当時住んでいた栄町から、明石町番外地の我が家に、赤ん坊を負ぶってよく遊びにきていた。

    

 あるとき、赤ん坊を負ぶった叔母が、汽車に乗ったとき、北沢先生に席をゆずられ、大変感激したことがあった。 

   

 私が、鹿島東小学校4年生の初夏のころだった。

    

 北沢先生は若い先生だった。

    

 私が北沢先生を初めて見たのは、4年生になってからではなく、3年生のときに見ていた。

    

 休み時間、見なれない若いキレイな先生が、女子児童と笑いながら体育館で遊んでいたのをよく見かけたのだ。

    

 その先生が、4年生になった我々菊組の担任になったのだ。

 またまた女性の先生になった。

    

 叔母は、席をゆずられたこともあったろうが、「 キレイな先生だね 」と言ってファンになってしまった。

    

 私だけではないが、明石町に住んでいた1年生を除いたほとんどの児童は、徒歩通学だった。

   

 だから、北沢先生と同じ汽車に乗ることは、基本的にはない。 それでも、マレに、北沢先生が乗っていた汽車に同乗したことがあった。

   

 それで、北沢先生が、赤ん坊を負ぶったオカァサンに、席をゆずる場面を、私は3〜4回ぐらい目撃した。

    

 北沢先生は、鹿島東小学校の4年生と5年生の菊組を担任した。

 我々の年代の鹿島東小学校の高学年は3年間クラス替えがなかった。

 しかし、先生は、教職先がかわることがあり、北沢先生は、我々先生が6年生になるとき、鹿島中学校に転任していった。

    

 この、見知らぬ人に席をゆずるというのは、当時は、見かけることはほとんどなかった。 現在はどうだろうか? 

  

 世の中のことだから、色んな人がいるが ••••••

    

 タイは、電車やバスの中では、老人や幼児には大変親切だ。 若い人は、老人が乗車してくると、自分に特別な理由がなければ席をゆずる。 また、幼児や、日本の小学校低学年ぐらいの児童にも席をゆずるのが普通だ。 これらについては、タイにくる日本人が感心するところだ。

    

 私が住んでいるアパートは、空きがあれば、1泊でも宿泊させるので、新型コロナ肺炎の旅行者に対するタイ当局の規制が、ゆるくなった今は、日本人が30人ぐらいになった。

    

 それらの人は、主に、ゴルフをしにくるリピーターなので、顔見知りの人も何人かいる。

    

 その人たちの観察の範囲になるが、日本の電車やバスで、老人や児童に自席をゆずるのを見るのは、タイに比較すると、相変わらず少ないようだ。 

   

(2023年2月25日 記)


 

 (筆者略歴)

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。


1件のコメント

  • 北沢千鶴子先生は、鹿島東小に昭和33年から35年まで勤務、昭和35年10月から鹿島中学校で教鞭をとられ、昭和37年3月まで在籍されました。

    交通機関で「席をゆずる」のは、躾として当たり前のように感じていたが、子どもの頃の大夕張内では混んだ汽車や、バスの経験がほとんどなく、譲ったり譲られた記憶がなかった。それでもたまに親と出かけた夕張市内の路線バスの中では親のそのような姿があったのかもしれない・・。
    札幌線は混んだが、長距離と言うこともあり、三菱や夕鉄も増便などの対応で全員が座っていた。

    本当に意識したのは大夕張を出てからだった。
     
    その頃札幌でも「優先席」が登場した。当時高校生になったばかりの自分は、「当たり前」だと思っていたことが「ルール」になることに意外な思いしたものだった。

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