大夕張の企業 三菱大夕張礦業所 (昭和36年 夕張市の企業と名士録から)
【位 置】
三菱大夕張礦業所は国鉄清水沢駅より、北に17.5キロ離れた鹿島一番地にあり、夕張川の上流海抜319メートル、やや平坦な地形をなしている。
【沿 革】
同鉱の発端は、明治31年であるが、同39年現在の南部に事務所を置き、京都合資会社が開発に着手した。
大正3年2月(注※)に三菱鉱業が事業を継承し美唄礦業所の所属となった。
(注※:「三菱鉱業社史」によると、大正5年1月24日に大夕張炭坑株式会社が清算され、債権者である三菱合資会社が買収した)
大夕張鉱業所になったのは昭和2年2月で、老令坑の南大夕張坑の廃止に伴い、建造物、従業員の大部分を現在の大夕張に移し、昭和7年度には出炭量29万余トンに達した。
その後、石炭増産に応じて新斜坑を開さくし、発展の一途を歩んでいる。
【地質及び炭層】
地質は白亜紀層を基盤とする新生代第三紀石狩層からなっている。地層は南北を軸とする一大湾曲により隆起傾倒した、いわゆる逆層を形成しているのが、この礦業所の特徴である。
したがって、山はもめ、断層が多くガスも多い。
【メタノール工場】
昭和32年9月に建設工事に着手し、同35年4月完成したメタノール工場は新しい炭鉱保安技術であるガス抜き法による濃度約五〇%のメタンガスを含む坑内ガスよりメタノールを製造するもので、北海道における最初のメタノール工場として道内産業発展に貢献している。
【工場の規模】
工場敷地 49.500平方メートル
生産能力 (メタノール)
6.500トン(年産)
所要坑内ガス 70.000立方メートル(一日)(純メタン換算)
所要電力 3.000kw
所要推量 14.000立方メートル(一日)
工場従業員 70名
【鉱業所の現況】
本市では夕張鉱業所に次ぐ生産高を維持し、歴史も比較的新しく将来さらに飛躍の要素をもっている。
出炭は大正5年に85.000トンであったが、戦時中には増産体制をはかり昭和16年には762.000トンという戦前戦後の最高を記録した。
終戦時の昭和20年度には他山と同様、半数以下に減産したが、再び年とともに上昇、昭和29年度には507.600トン、同34年には、上期287.000トン、下期303.000トンとなり、最近では月産55.000トンを超えており特に、合理化によって能率で昭和34年上期、一人当月15.6トンが、現在(昭和36年)では19トン前後になっている。
従業員は昭和36年9月30日現在で、2.774名となっており、職員は330名である。
【役職は次の通り】
所長: 岩間 政男
副長兼メタノール工場長: 横沢 甚八
メタノール工場副長: 志茂山 正蔵
副長兼竪坑開削課長:森本 輝
副長兼炭務課長:田中一雄
所長付 :大木 武次
病院長:平池 正
炭務課長:小川 重一
経理課長:徳間 貢
資材課長:林 徳之助
勤労課長:佐々 政久
厚生課長:福島 常弘
鉄道課長:成田 茂
坑務課長:神谷 国輝
工作課長:寺西 久夫
保安監督課長:景山 譲
メタノール工場製造課長:高井 長七
『夕張市の企業と名士録』 (昭和36年12月 夕張商工新聞社発行)より