雪の中をこいで山小屋にたどり着く | 高橋正朝 #134

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 今から約65年ぐらい前の春先、そう今ごろの日曜日、私を含む3人で、雪の中をこいで桜が丘から山のほうに入った。

 このときも、誰々と行ったのか、覚えていない。 多分、全員、明石町番外地の少年だったろうと思う。

    

 季節は違うものの、続・大夕張つれづれ #119 〘 スモモ 〙に書いたことだが、このときの雪の中をこいで行ったルートも、全く覚えていない。 多分、三弦橋を渡って行ったのだろう。

 

    

 いつものようにズボンのスソを長靴の中に入れて雪の中をこいでいくと、雪が長靴の中に入ってしまうから、ズボンのスソを、長靴の外に出していた。

 

    

 老人になった今では考えられない元気さだが、当時のハツラツとした少年たちだから、雪の中を平気でこいで行った。 どこまで行くのかという計画は何もなく、無目的だった。老人になったから無意味に雪の中をこいで行くのをしなくなったというのではなく、鹿島中学校の生徒になった時点で、すでに、無目的に雪の中をこいで行くというのはしなくなった。

 

   

 私は独身だから、子どもはいないのだが、それでも、周囲にいる子どもたちを観察していると、年端のいかない子どもというのは、よく動き回るものだとは思う。 当時の私たちも、家の中で比較的静かにジッとしているのは、マンガを読むとき、テレビを見るときぐらいのものだった。

 

  

 私が、鹿島中学校の2年生の冬期、休み時間に、体育館を通って同級生2〜3人と K 組に戻るとき、バスケットボールのネットにタッチしようと数回飛び跳ねたことがあった。

    

 そのとき、体育館の中入ってきた、国語担当の小田先生がそれを見て、

 

「 ホント、アンタたちの年ごろは、よく動き回るわね 」

 

と笑いながら言って通り過ぎていったことがあった。

    

 そう言われたものの、その時点で、すでに小学生なみの動きはなくなっていた。

    

 

 もう50年ぐらい前になろうか、西武池袋線に乗っていたとき、女子中学生3人が、

 

「 ✕✕高校のオバさんたちがさァ〜 」

 

なんて言っていたのを耳にしたことがあった。

 

 中学生の女子生徒が、高校生の女子生徒をオバさん呼ばわりしていた。

 その言からすると、20代だった当時の私は、彼女たちからみれば、すでにジジイだったのだろうなァ ••••••。

    

 小田先生には、1年生のときに、国語を教わった。

 妹さんも鹿島中学校で教鞭をとられ、姉妹が、同時期に鹿島中学校に在職していたことがあった。 妹さんは、どのような教科を担当なさっていたかは知らない。

    

 

 話を元に戻す。 

   

 桜が丘の雪の中をこいで行くと、山の中に小屋が見えた。

 小屋の煙突から、かすかに煙が棚びいていた。 その小屋の戸を開いたら、オジさんが2人いて、薪ストーブで暖をとっていた。

 オジさん2人は知らない人たちだが、多分、営林署関係者だったろうと思う。

    

 薪ストーブで暖をとっていると、ズボンから少しずつ湯気がたってきた。

 同時に、耳と顔が少し痛痒くなってきた。 軽いシモヤケだ。

    

 我々は、誰も腕時計などは持っていなかったが、オジさんたちが、

 

「 もうそろそろ家に帰りな 」

 

と言ったので、我々は素直にしたがった。

    

 しかし、あれだけの長距離を、元気いっぱいの少年だったとはいえ、よくもまァ、雪の中をこいで行ったものだと思う。

 雪の中をこいで行くと、汗びっしょりになるのは、皆さんご存知のとおりだ。

 汗びっしょりになるだけでなく、背中が痒くなってもくる。 マ、それは、風呂ぎらいの私だけだったのかもしれないが ••••••。

 

    (2023年3月4日 記)


  (筆者略歴)

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。


1件のコメント

  • アノラックを着て、毛糸の帽子に、手編みのぼっこ手袋、長靴とズボンを脚絆で覆う。
    それがあの寒い冬の大夕張で過ごした頃の子どもの時の完全装備だった。
    ちなみに脚絆は、「きゃはん」と読むが、「けはん」と呼んでいた。
    子どもの頭の中では、毛糸で編まれたものだから、「毛ハン」なのだろうと頭の中で勝手に解釈していたようだ。
     
    準備ができると、遊び場は裏の八百五十に繋がる山の斜面だった。
    新雪に残る兎の足あとを追いかけたり、尻滑りのできるような斜面を求めて登った。
    もちろん道はない。へそのあたりまで雪に埋まりながら、「こいで」雪の斜面を登った。
    山には幾筋かの沢があった。小さな崖からジャンプして飛び込み、そこで全身雪まみれになるのが楽しかった。
    無邪気な自然との戯れは、さすがに小学生の頃までの記憶。
    いつしか興味は別の方に向いたようだ。

     

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