鹿島橋 旧橋の跡
かつて『ふるさと大夕張』の写真掲示板に投稿された、「常盤町に渡る手前の千年町側から」の写真だ。
投稿してくれた方の名前もデータもなくなり、わからなくなってしまった。
鹿島中学校への登校途中、鹿島橋の上から旧橋の橋脚の土台を左手に見ながら歩いた記憶はある。
「ああ、昔の橋のあとなんだなあ」と、当時は、その程度のことを思いながら通り過ぎていた。
コンクリートの基礎の上にかかる『旧鹿島橋』は、昭和24年頃、新しくできた常盤町に渡るための道路だった。
昭和31年には三菱バス山内線が開通し、『礦業所前』と『中学校前』を結ぶ常盤線が走った。当時常盤町の住民の利便性をはかるととともに、炭鉱住宅に住んでいる従業員の輸送も急務だったのだろう。
川を渡るにはつり橋が多かった大夕張だが、バスも通れるほどのしっかりとした橋だった。
大夕張ダムができる前の常盤町の写真に、旧鹿島橋も写っているが、遠目には新しい橋と区別のつかない橋の姿のように見える。(※1)
昭和34年に大夕張上空を飛んだソニー号からの映像には上空からの旧鹿島橋の姿とともに、橋に向かって走るボンネットバスの映像が残る。(※2)
旧鹿島橋は常盤町開町から10年程たった昭和36年に大夕張ダム完成により、常盤町にかかっていた他のつり橋(旧暁橋・旧常盤橋)とともに新橋に架けかえられた。
【旧鹿島橋の姿】
※1 『昭和30年常盤町全景』写真の『旧鹿島橋』拡大部分。常盤町側から。五本程の橋脚が見える。
※2 『昭和34年9月2日鹿島小学校にソニー号がやってきた!(大夕張上空遊覧飛行)』より、1:03のスクリーンショット。千年町上空から。この場面の直後に(旧)暁橋前を(旧)鹿島橋に向かって走るボンネットバスの姿が映る。