夢の続きを見る | 高橋正朝 #137
しょっちゅう夢を見る人や、夢を見る回数が少ない人もいるだろう。 振り返ってみれば、私がしょっちゅう夢を見たのは、鹿島東小学校の、3年生から5年生ぐらいが多かった。
以前、何回か書いたことだが、寝ている最中、私は最低でも2回は小便にたった。 妹や弟たちは朝まで小便に起きることなくグッスリ寝ており、不思議に思ったものだった。 膀胱が小さいのは生来のものだから、どうにもならない。
長距離移動の飛行機、鉄道、バスの座席は、私は通路側を選ぶ。
たいていの人は、窓側に座りたがるので、私には好都合だ。
話が逸れてきた。
私が見る夢は、楽しい夢、イヤ〜な夢、どうってことがない印象の薄いのに大別できる。
イヤ〜な夢や印象の薄い夢は見たいとは思わないが、寝ている間の出来ごとだから、どうにもならない。
悔しいのは、楽しい夢を見ていて、その最中に小便をもよおし、便所に立たなければならないときである。
覚醒しているのに、布団の中で小便をするわけにはいかない。 この楽しかった夢を見るのは、どういうわけか、寒い時季が多かった。
小便から戻ってきて温い布団にくるまり、ちょっと前まで見ていた夢は楽しかったなァと思いつつ、どうにか、その楽しかった夢の続きを見れないものだろうかと、まどろみの中で思いつつやがて睡魔に導かれて眠りに入った。
楽しかった夢を何回も見、小便のために中断したその夢を寝床の中でまどろみながら反芻していたら、なにかのときに気づいたが、続きを見れたのだ。
小便のために便所にたったが、寝床に戻り、ちょっと前まで見ていた夢を反芻すれば、続きを見ることができるのを発見したのは、鹿島東小学校の4年生の冬だった。
そのうちに、楽しい夢を、自分に都合のいいストーリーに捻じ曲げることまでできるようになった。
ここまでくると、眠りながら夢を見ているというよりも、覚醒したアタマで、空想の世界に浸っているのではないかと思ってしまうのだが、私としては、あくまで、夢を見ていた意識である。
私が東京で定時制高校に通っていた同級生に、やはり、私と同じ方法で、夢の続きを見ることができた者がいた。
彼も夢のストーリーを捻じ曲げることができたと言っていた。 私と違って、総天然色の夢も何回も見たようだった。 彼の出身は、雪深い新潟県である。
彼も私も、夢の続きを見たり、ストーリーを捻じ曲げたりできたのは、10歳前後の2〜3年間だけだった。
成田利夫さんが、続・大夕張つれづれ #136 〘 色付きの夢 〙の FB 版に、総天然色を夢を見て、その内容をノートに記録しているとコメントしているのを読んでビックリしましたが、夢の続きを見たり、ストーリーを捻じ曲げることについては、成田さんは如何でしたか?
(2023年3月25日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
いい夢を見ていて、盛り上がっている時、たいてい目が覚めてしまう。
それには理由があって、夢の中で、「楽しい」感情の高まりで興奮し、目が覚めてしまうらしい。
続きを見るには、やはり寝る前に強くイメージするとみることができるらしい。
しかし、それは難しいことだという。
途中で目を覚すのは、朝だった。
だからそのうち、夢のことは忘れてしまう。
自分が夜中に目を覚すのは、たいがい「怖い夢」だった。
これにも緊張や恐怖の高ぶりで目を覚すのだろうと想像つくが、なぜ夜中に多く目覚めるのかわからない。