北海道弁•••なまずし( 生寿司 ) | 高橋正朝 #140
私の大夕張時代は、いわゆる江戸前の寿司のことを〘 なまずし( 生寿司 ) 〙と言っていた。
まだ、各家庭に冷蔵庫などなかった時代である。
だいたいが、大夕張時代の私の小学校低学年くらいまでは、生の魚介類を食したのは、イカの刺身だけだった。 イカをキシメンぐらいの巾に切った刺身で、おろしショウガで食べた。
ソーメンの太さにして、イカソーメンが函館の名物料理になったのは、それから10年ぐらい後だった。
もっとも、イカソーメンにして食べていた函館在住者が、当時すでにいたかもしれないが、一般的ではなかったろう。
私の母親は函館出身だが、若い時代には、イカソーメンなるものは見たことはなかったようである。
母親の妹である叔母の1人は、今でも函館在住だが、同様である。
その他、大夕張で食べた刺身は、茹でダコの刺身だった。
マグロの刺身を初めて食べたのは、鹿島東小学校の4年生の祭りのときだった。 その刺身だけを口に入れて食べることができず、ゴハンの上にのせて食べた。
そのうち、父親が、誰かに教わったクジラの刺身を、鹿島中学校2年生のときに食べた。
各家庭によって違うだろうが、我が家では、単に、スシと呼んでいたのはノリマキだった。
もちろん、ちゃんとノリマキと呼称してもいた。 稲荷ずしを呼称するときは、どういうわけか、稲荷を頭につけて、必ず稲荷ずしと言っていた。
小松水産という会社がある。
創業者は、茨城県日立市で、行商から身を起こしたようである。
タイにも合弁会社があり、スーパーや飲食店にも卸しているので、会社の名称は知っていたが、私がタイで働いていたときは、直接の関係がないので、会社のことはまったく知らなかった。
今回、〘 なまずし( 生寿司 ) 〙のことを書こうと思い、ネットで検索したら、小松水産のことを見つけ、そのオフィシャルブログに、方言〘 なまずし( 生寿司 ) 〙のことを、さすが水産のプロだけあって、要領よく説明していました。
その抜粋が、以下の文です。
さて、本日の話題は、
「なまずし(生寿司)」
です。
北海道では、
「生寿司」を「なまずし」
と読み、
握り寿司
のことを言いますが、これっていわゆる
方言
なんですね。新潟県・山形県・秋田県など東日本の一部の地域でもこの使い方をしているようですが、北海道は全道的に「なまずし(生寿司)」ですからね(笑)
本来、
「生寿司」とは「きずし」と読み、
鯖(サバ)などの青魚を塩締めしたもの
を指すようです。
寿司という呼び名が付いていますが、飯無しの切り身で食べるのが普通のようです。
北海道に住んでいると、
生寿司=なまずし=握り寿司
なのですけど、
本来の生寿司=きずし=鯖(青魚)の塩締め
だということを私が知ったのは、この業界に関わってからで、それまでは知りませんでした(笑)。だぶん、ほとんどの道民が知らないことだと思いますよ。
ちなみに、北海道では鉄火巻きやカッパ巻きなどの巻物は生寿司(なまずし)じゃないということで、スーパーなどで販売される握り寿司セットには巻物が入っていませんが、道外のスーパーでは握り寿司に巻物がセットになって販売されているのが一般的だそうです。
身近な寿司という食文化は、全国共通なものと思っていましたが、実は地域によって違いがあるって面白いですね。
(2023年4月15日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
「寿司」という言葉については、確かに記憶に残る出来事がある。
やはり握り寿司のことを「生寿司(なまずし)」と呼んでいた。
そして「かっぱ巻き」や、「かんぴょう巻き」などの酢飯を使った巻物を「おすし」と呼んでいたのだった。
「今日、おすしが食べたい」とねだる時は、この巻物が食べたいということだった。
生寿司など滅多に食べられるものでもなく、同じ「寿司」でも、「生寿司(なまずし)」は特別なものと思っていた。。
親がそうしむけたのかどうかはわからない。
あるとき、(大夕張を出てからだと思う)
「『寿司』とは握ったものをいう、おまえがいっているのは海苔巻だ」
と教えられた。それ以来、そういうものだと思ってきた。
だから「生寿司(なまずし)」という言葉をよく使っていたのは、子どもの時の記憶、すなわち大夕張時代だった。
今 「すしが食べたい」 そういう時は、海苔巻寿司は頭に浮かんでこない・・・。
「生寿司」という言葉は、成長とともに使わなくなっていった言葉である。
時折、スーパーなどで「生寿司コーナー」の言葉をみることがある。
子どもの頃の「寿司」という言葉の使い方にも、北海道独特の言い方が背景にあったのかとあらためて思った。