フキの煮つけと漬け物 | 高橋正朝 #148

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 Kawauchi  Masami  さんが投稿した、缶詰めのサバとフキの煮つけの写真を見ました。

 旨そうですネ。

    

 私が鹿島東小学校の3年生のとき、誰かにいただいたフキの漬け物がありました。

 母親は、早速、フキの漬け物を作ってみたが、1回きりでした。 多分、上手く作れなかったのだろうと思う。 白菜や大根の漬け物、それに、夏場はキュウリやナスの漬け物を作っていたのだから、フキの漬け物を作ってもおかしくないのだが、どういうわけか、1回の試作で終わってしまった。

    

 Kawauchi  さんの家では、フキを茹でてから皮をむいていたことが書かれてましたが、我が家では逆だった。

 アク抜きのためにフキを茹でる前、生のフキの皮むいた。

 

 私も手伝ったが、爪と指が、アクで結構汚れた。

    

 Kawauchi  さんの家では、サバ缶を使ったフキの煮つけのようですが、我が家では缶詰めのサンマだった。

 身欠ニシンだったこともあった。

    

 フキの煮つけは、フキだけを煮つけて、他には何も入れないやり方もあるようだが、我が家では、フキだけのということはなく、ときには、コンニャクを混ぜたもの、または、アゲを入れたりしたときもあった。

    

 我が家では、通常は、缶詰めのサンマを入れた煮つけだった。

 サバを使わなかったのは、単に、両親の好みだったようだ。 サバの味噌煮などはよく作っていたから、おそらく、フキの煮つけのときは、フキとサンマの取り合わせが好みだったのだろう。

 

 父親は樺太出身で、母親は函館であるが、いずれの親も漁師である。

 したがって、魚の好き嫌いはない。

 

    

 大夕張を出てから、フキの漬け物はおろか、煮つけも食したことはない。 札幌市内でも、山林に入ればフキはあるのだが、他に色んな野菜が売られているから、わざわざフキを採りに山に行くことはなかった。

 

    

 話が外れる。

    

 私の父親は男3人女1の長子である。 ご存知のとおり、日露戦争後、南樺太は日本の領土となった。

 父親の父、すなわち祖父は、そこに、幾ばくかの土地を持っていたようである。 

   

 具体的な数字は忘れてしまったが、数年ごとに、日本政府は、その土地の名義人の所在確認をしている。 そのことを知ったのは、私が東京に来てからだ。 50年以上前のことだ。

 すでに東京に来ていた父親の弟、すなわち、叔父の口から聞いた。 この叔父は、ロシア語を話す。 小学校の同級生や遊び仲間にはロシア人の児童もいたからだ。

    

 

 先に書いたように、私の父親は長子であるが、土地の名義人が父親でなく、なぜその弟なのか、理由は知らないし、尋ねもしなかった。

    

 その樺太の土地のことを聞いたとき、日本政府は、随分と細かなことまで追跡調査しているんだなァ〜という感想を持った。   

 当時の樺太庁の行政機構の中心地は、豊原( トヨハラ )支庁である。 現在のユジノサハリンスクだ。

 

    

 またまた話が外れる。

   

 私がイラクに行くとき、成田からの出発だった。

    

 出国手続きを終え、待合所で周りを眺めていたのだが、コーヒーとサンドイッチの軽食でもとろうかと立ち上がったとき、少し離れた席の若い女性と目が会い、その彼女がニコッと微笑んだ。

 メガネをかけた中肉中背の金髪だった。

 美人とは形容できないが、理知的な印象だった。

    

 こういうのに弱いんだよなァ、私は ••••••。

 これで人生誤ってしまった。

 40年ぐらい前の禁煙パイポのコマーシャルのオッサンの迷セリフと大同小異の人生だ。

      

 コーヒーを飲みながら、彼女の出身地を訊いたら、国名ではなく、いきなり、『 トヨハラ 』と言った。 私が日本人だからか、日本領土時代の地名を言ったのだ。

    

 大変珍しい答え方だ。

 外国人同士だと、普通は、最初に国名を告げるものだ。 もっとも、私の質問は、彼女の出身地を訊いたわけだから、国名を言わず、出身地である『 トヨハラ 』と答えるのは間違った返答ではない。

    

 出身地を訊いたケースで、こういう冗談を返されたことがあった。 『 from my mother ( 母から ) 』と返答したのが2人いた。

    

 我々の年代で北海道で生まれ育った者なら、北方領土や樺太のことは、表面的な歴史や地理は、内地の人間よりは知っているだろう。

 それで、私は、『 トヨハラというのはサハリンのトヨハラのことか? 』と訊いたら、『 イエス 』の答えだった。 私がいきなり〘 サハリン 〙という地名を言ったので、彼女はちょっと驚いた顔をした。

 〘 トヨハラ 〙という地名から、すぐに〘 サハリン 〙の地名をだすとは思わなかったのだろう。 〘 トヨハラ 〙というのは何処だ?という質問を想定していたフシがあった。

 

 私が、北海道生まれでなく、内地の人間だったらそう質問したかもしれない。

   

 彼女はソ連の大学生で、英語の勉強でアメリカに行く途中で、成田空港が中継地だった。 他に3人の学生がいるが、飛行機の乗り換え時間が8時間あるので、その3人は、東京を見に行き、彼女だけが成田空港内に留まっていたそうだ。

     

 千島列島は大漁場だが、カラフトマスの名を示すように、樺太も大漁場である。 しかも、天然ガスと石油がでる。

   

 北方四島については日本政府は、折に触れて、〘 日本固有の領土 〙だとアピールしているが、どういうわけか、南樺太についてのアピールは聞いたことはない。

    

 しかし、叔父から南樺太の土地のことを聞かされたとき、一般には知られていない追跡調査を、地道に政府はやっているようだ。

    

 私が借りていたアパートの大家に、中国に行っている間に所持品を全部処分されたので、その〘 トヨハラ 〙出身のロシア人の住所などはまったく分からなくなってしまった。

 

 わずかに、名前が〘 マルコワ 〙という発音で、〘 ワ 〙に相当するアルファベットが〘 V 〙だったことだけを覚えているだけだ。

 

(2023年6月10日 記)


  

(筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:tkhsmstm@hotmail.co.jp


 

1件のコメント

  • 山から採ってきた蕗の皮向きの手順、うちも古新聞紙の上で手を灰汁に染めて向きました。
    特に爪の間に入った汚れはしばらく落ちなかった。けっこうそれが面倒くさかった。
     
    ゆでて皮をむくと拍子抜けするほど簡単でした笑。
    「これまでなんだったんだろう」と。
     
    樺太のことにも触れられていますが、遠縁に樺太引揚者がいて、夕張、大夕張と関係がありました。
    昭和20年9月家族を失い、命からがら母と姉三人で夕張で生活をはじめ、その後寮を点々としたようです。
     
    そんな中、数年後母親は残念ながら病気で亡くなり、その後苦労して育ったということです。
     
    この話はまたどこかでもう少し詳しくお話できればと思います。
     
    『樺太戸籍』なる言葉も初めて知りました。
     
    戦後は、終わっていないということか・・・。
     

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