月: 2023年7月

常盤町8丁目8番地 楽しかった日々

常盤町8丁目8番地

    常盤町の暁橋のところから、常盤町を横断する形で、詰所集会所に向かって傾斜のある道を行くのが、鹿島中学校に向かう通学路だった。  常盤町8丁目8番地は、暁橋と詰所の中間あたり、ちょうど、シューパロ川に向かって傾斜していく崖の端にあったといえるだろうか。    男の子の後ろに、おそらくその通学路…
水溜まりに棲んでいたタニシ?| 高橋正朝 #155 続・大夕張つれづれ

水溜まりに棲んでいたタニシ?| 高橋正朝 #155

     ザリガニ獲りをした場所は、チョロチョロした淀んだ水が流れる沢だった。  水が流れると書いたが、清水とは言えない流れである。  清水が流れる場所に棲息したザリガニがいたかもしれないが、少なくても、明石町に住んでいた私や遊び仲間が獲っていたザリガニは、淀んだ水が流れる小川だった。  水が流れる…
郷土研究部と地学部|久々湊真一 思い出ばなし

郷土研究部と地学部|久々湊真一

  夕張東高の郷土研究部は我々の頃は、文科系の花形クラブでした。  野村崇先生(先生については項を改めて書く事にします)の熱心なご指導により、学校外への発表も含む本格的な活動を行っていました。  私は郷土研究部に入っていませんでしたが、興味深い活動なので注目をしていました。     高一の夏と思う。…
夏休みの思い出 | 長谷部孝治郎 思い出ばなし

夏休みの思い出 | 長谷部孝治郎

    この季節になると、子供の頃、真っ黒に日焼けして遊びに夢中になっていた事を思い出します。  明石町の自宅の崖下の川で泳いだり、カジカやドジョウ、ウグイを釣って焚き火をして食べたり、今思えば汚い川で泳いで病気にならなかったものだと思いました。    白金の沢にもよく泳ぎに行ったなぁ。    リヤ…
大夕張神社からの街並み《カラー版》 思い出の街角

大夕張神社からの街並み《カラー版》

  昭和6年頃とされる白黒写真に着色した。 あらためて昭和48年の全景写真から、同じような構図で並べてみると次の様になる。   山が近い。 町だけでなく、背景の山の木々も人の手が入り姿を変えている。 大夕張駅の駅舎は小さく、その前の通りも広い・・・というか道の両側に建物がない・・・。     三菱大…
三菱大夕張炭砿病院 思い出の街角

三菱大夕張炭砿病院

 昭和45年頃の炭砿病院。  その頃。    右手の突き出た屋根のある部分が、正面玄関。左手は北側の玄関。職員関係者用の玄関だった。    正面玄関と北側の玄関の間に見える一階の窓のところが、事務室・受付だった。  正面玄関を入った先の吹き抜けの立派な階段を上がると診療室がならび、二階にはその窓が見…
シューパロ川の石採り  楽しかった日々

シューパロ川の石採り 

     昭和43年(1968年)鹿島中学校一年に入学した。  その年の夏のこと、父親に連れられて近所のトシボーと、弟と4人で大夕張炭山駅から奥の『官行』に向かい、シューパロ川の上流に行った。    その経路は、平成10年発電所からポンプ場への中で使った私の手元にあった二枚の写真と、弟が持っていたこ…
シューパロ川の化石 2丁目3番地

シューパロ川の化石

   今日(2023年7月24日)、北海道新聞12面(道央版)に、かつて大夕張の鹿島小学校グラウンドで公演を行なったという『木下大サーカス』が札幌で公演中という記事とともに、『夕張の化石に触れて』というタイトルで室蘭市で開催中の展示について写真付で紹介されている。    記事を要約すると、『DENZ…
開拓で見た水田 | 高橋正朝 #154 続・大夕張つれづれ

開拓で見た水田 | 高橋正朝 #154

     開拓で水田を見たことがあった。  私が鹿島東小学校の4年生の、6月ぐらいの日曜だった。 遊び仲間3〜4人が、それぞれの家で朝めしを食べてすぐに白金の沢を目指した。  そこで2時間ぐらい過ごし、ハラ時計からすると、正午をまわっていたので、家に帰ろうということになった。         白金の…
昭和48年11月鹿島中学校生徒住所録 2丁目3番地

昭和48年11月鹿島中学校生徒住所録

    ここに送ってもらった一冊の『鹿島中学校生徒住所録』と書かれた名簿がある。(正確に言うとそれを撮影した写真だが)      藁半紙をホッチキスで閉じただけ簡素な作りの名簿は、黄ばんで文字も薄くなっている。   発行された日付は、昭和48年11月。     三菱大夕張炭鉱閉山が決定した1973年…
シナノキ 2丁目3番地

シナノキ

   7月上旬のある晴れた日の夕方、散歩をしていると、小さな白い花を付けている木の下を通りかかった。    すると、日中のあたたかい空気の名残りに混じって覚えのある甘い香りがした。    それはどことなく懐かしく、子どもの頃の夕暮れ時の家路につく道端の樹と同じ匂いだと思った。    さっそくスマホに…
ダニ峠から 1999年 写真

ダニ峠から 1999年

前回で紹介した『大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠』、ダニ峠を歩いたその時(1999年5月)に撮影したVTRがあった。 そこからのスクリーンショット。     街から少し奥に向かい南部大宮町から山に入った。     ダニ峠の頂上にさしかかる手前では夕張川の流れが見えた。   …
ダニ峠の物語 伝説狐つき あらかると

ダニ峠の物語 伝説狐つき

むかしむかし、大夕張が南部で、その南部に大夕張炭坑があったころの大正時代のはなし。   ダニ峠で行方不明になった数え年五歳の男の子が発見されるまでの顛末。   『二十年史』(大夕張労働組合)の第一編南部大夕張時代から蒐集。      伝説 狐つき 大正末期、南部にも流行歌が唄われ始めた。   逢いた…
大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠 2丁目3番地

大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠

『むかしの道ろ(昭和6年ころ)』(一部拡大)  上の鹿島小学校の資料地図で、南部と大夕張の間、シューパロ川とパンケモユーパロ川が合流し、『二股』といわれたところ、・・・(かつて大夕張ダムはその合流地点に作られた)の山側に、道が折れ曲がった線で描かれているところがある。    青葉峠(通称『ダニ峠』通…
本流越 あらかると

本流越

     大夕張と夕張の間にある標高875メートルの山を著者の小林政雄さんは、『本流越』と呼んだが、地図やその他でその名前を探すと、幾筋の流れ出る川の名前とともに、山頂をしめす地図記号と標高点の873.6の文字だけが書かれていて、山の名称は書かれていない。山は俗称と言われるものがあるが、その一つだっ…
ザリガニが棲む沢の探検|高橋正朝#153 続・大夕張つれづれ

ザリガニが棲む沢の探検|高橋正朝#153

     前回、私も含んだ勉強などしないヒマな少年たちが、道路工事現場をちょくちょく見に行ったことを書いた。 その道路工事の最も苦労していたのが、沢の埋め立てだったように思う。       私たち明石町に住んでいた少年たちが見に行った工事現場は、竜田の沢の埋め立て工事よりも、シューパロ湖寄りの工事現…
大夕張に向かう三つの道(2) 本流越 2丁目3番地

大夕張に向かう三つの道(2) 本流越

     現地を踏破しようというそんな無謀な企てを図る体力も気力はないので、地図を眺めながら、空から眺めて遊ぶ時間です・・・。      小林政雄著『夕張風物抄』という本の中に『本流越』という名で、夕張市と大夕張との中間に、位置する山が出てくる。    夕張市小松の西方4キロメートル、海抜875メー…
大夕張へ向かう三つの道(1) 2丁目3番地

大夕張へ向かう三つの道(1)

鹿島小学校にあった郷土室の資料に、昭和2年頃大夕張に向かう『むかしの道ろ』という掲示物があった。 その解説文には次のようにある。     むかしの道ろ(昭和2年ころ) むかし、鹿島まで、3つの道路がありました。  一つは、南部の若葉鉱(今はない)から、山道を通ってきました。  もう一つは、万字炭山か…
奥鹿島分校ゆかりの碑 資料室

奥鹿島分校ゆかりの碑

 白金地区(当時は『開拓』『奥鹿島』とよばれた)の子どもたちは、鹿島東小学校に通学していた。    高橋正朝さんの『大夕張つれづれ』『続大夕張つれづれ』の話の中にも当時『開拓』から通う子どもたちが、時間をかけて、いくつもの吊橋を渡って通学する様子が出てくる。     奥鹿島分校設置のきっかけは、これ…
白金望郷之碑 訪問記

白金望郷之碑

訪れたのは夏の終わりが近い2022年8月22日。 快晴の青空の下、心地好い汗が噴き出す。   本当は、厳冬の雪風の吹きすさぶ中、訪ねてくるのが、開拓の歴史の垣間見る良い機会なのかもしれない。 しかし現実は、冬季間は明石町の鹿島眺望公園から先の白銀橋に至る道路は閉鎖されていて、ここに来ることはできない…