月: 2023年6月

開拓橋建設と共栄橋の位置 あらかると

開拓橋建設と共栄橋の位置

  ふるさと誌「しろがね」から。 以前掲載の「共栄橋」を渡る人物と同じ、服装や雰囲気から同じ日に撮影された写真のように見える。   Tokio Tanikawaさんのお父様が写っているというコメントがFB版であった。写る人物は谷川さんらしい。    写真には、「白銀橋の建設作業」(昭和34年頃)とい…
共栄橋の建設の頃 あらかると

共栄橋の建設の頃

   先日、掲載した明石町と開拓を結んだ「共栄橋」の話題の続き。    ふるさと誌「しろがね」(平成9年発行)には、開拓に入った方々の当時の思い出が寄せられている。  その中に、田坂啓一さんという方が、開拓当初、住んでいた大夕張から開拓の畑に向かう様子や、共栄橋を建設するまでの思い出を具体的に書かれ…
サーカス小屋のオートバイ 2丁目3番地

サーカス小屋のオートバイ

  「大夕張駅上空から」の写真に昨日、JUNさんから次のコメントがあった。    以前書いたか、読んだかしたように思うけど、グラウンドの「木組み」は建設中のサーカス小屋。 何棟かあったような。 この中に(?)金属網でできた巨大な地球儀のような球体を固定し、その中でオートバイを走らせていたのを見た。 …
共栄橋 思い出の街角

共栄橋

 先日の高橋さんの「続大夕張つれづれ#150『蒲の穂』の中に、明石町から、開拓・桜ヶ丘の方に向かう時、通った坂道と揺れる吊橋の話があった。明石町と開拓を結ぶ白銀橋ができる前のことである。   それによると、この揺れる吊り橋は、明石町側の坂道を下り、吊り橋を渡り、そして坂道を上って小林さんの畑のそばの…
水仙と夕張岳 その2 写真

水仙と夕張岳 その2

2022年5月夕張東高校跡地のグラウンドだった「眺望公園」から。   残雪残る山 青い空 黄色い水仙と    映る鉄柵は、こちらとあちらの世界を分けているようで、不粋ではあるが・・・。    …
蒲の穂 | 高橋正朝 #150 続・大夕張つれづれ

蒲の穂 | 高橋正朝 #150

   〘 蒲の穂 〙を知ったのは、鹿島東小学校の3年生のときである。   今となっては名前も顔も思い出せないが、明石町の炭住街の同学年の男児3人か4人が、開拓か桜ヶ丘のほうまで行き、帰り道、〘 蒲の穂 〙を持った彼らが、番外地の我が家の前を通った。       当時、明石町駅と番外地の間にあった小さ…
修了級会(昭和18年) 学び舎の思い出

修了級会(昭和18年)

 大夕張高等尋常小学校~鹿島国民学校~鹿島小学校と、戦前戦後を通して教員として務めていた祖父のアルバムから。    昭和18年(1943年)5月11日の日付とともに、『第13回修了級会』との書き込みがある。ちょうど今年から80年前の写真となる。     昭和18年に開かれた『修了級会』は、今でいうと…
大夕張駅上空から《カラー版》 途中経過その1 大夕張の全景

大夕張駅上空から《カラー版》 途中経過その1

 『大夕張駅上空から』のカラー化に拘ってきたが、このまま続けていてもいつ完成するかわからないので、作業途中ではあるが、掲載することにした。  大夕張駅前周辺、鹿島小学校周辺の富士見町や緑町、あとは全体的な山のあたりは結構を何度も手を加えた結果が表れているが、それ以外はまだ粗の段階。  彩色していきな…
「鹿島」について|高橋博美 随想

「鹿島」について|高橋博美

 北海道の地名はアイヌ語から転化したものが多い。   夕張もユーパロ(鉱泉の湧き出るところ)から来たものだが、細かな地名となると、ゆかりのある本州の地名などが当然多くなる。   鹿島は夕張の芦別側の一番奥にある地名で普通、大夕張と呼ばれた地区だが、住所的にはどこにも大夕張は出てこない。   正式名称…
三弦橋 パノラマ 1997 思い出の街角

三弦橋 パノラマ 1997

 大夕張を訪ねる人は、おそらく長い旅路の果てに、南部のトンネルを抜けるとここでほっと一息つきたくなったことだろう。    大夕張ダムができるその昔、深い峡谷が人々を迎えた時も、谷がダムに飲まれて巨大な湖となったあとも、景色は変われど、大夕張への入り口であったことは変わらなかった。    1997年の…
昭和45年健保会館(武徳殿) 思い出の街角

昭和45年健保会館(武徳殿)

    写真でいえば、「三菱礦業所大夕張幼稚園から聖心第二幼稚園」の写真から右に繋がる写真。 昨日掲載した『幼稚園 園庭の名残り 1997』の時点でいえば、とうぜん広い「はらっぱ」だった。       ちょうど季節は今ごろか。 武徳殿正面の花壇にはチューリップやマリーゴールドなど色とりどりの花々が咲…
幼稚園   園庭の名残り 1997  思い出の街角

幼稚園 園庭の名残り 1997 

『はらっぱ』の中の遊具。 原野の中の遊具といった風情だが、きちんと手入れがされていて、当時、子どもたちの遊び場として機能していたようだ。    栄町から富士見町方向をみる。 奥の白い建物のみえる場所あたりに富士見町の詰所があった。正面奥に踏切があり、石炭列車が左右に走った。 向こうの山の中腹に浄水場…
溜め池の土砂堆積地にあった小鳥の巣 | 高橋正朝 #149 続・大夕張つれづれ

溜め池の土砂堆積地にあった小鳥の巣 | 高橋正朝 #149

例のごとく、飯田さんが編集した写真をコピペ。  この写真の場所は、明石町駅の山側にあり、11時の位置にある小屋は、大夕張鉄道の保線小屋で、壁で仕切られた別な部屋には、ポイント切り替え装置があった。 明石町に住んでいた当時の子どもたちの大多数は知っていたと思う。       他の町に住んでいた少年少女…
1997年の現実 写真

1997年の現実

『集団移転に伴う一時保管場所』   解体された資材が積み重なり置かれた場所のそばに、そう書かれた看板があった。   そこには大型の家財道具や生活用品のようなものが無造作に置かれていた印象があった。    一時保管?なんのために・・・置かれていた場所なのかはわからなかった。    ただ、家庭の家財道具…