郷土研究部と地学部|久々湊真一

18941

 
 夕張東高の郷土研究部は我々の頃は、文科系の花形クラブでした。

 野村崇先生(先生については項を改めて書く事にします)の熱心なご指導により、学校外への発表も含む本格
的な活動を行っていました。

 私は郷土研究部に入っていませんでしたが、興味深い活動なので注目をしていました。

  

 高一の夏と思う。

 

 同級の佐々木榮一(親友につき、呼び捨てご免)が「地学部を作ろう」と私に声をかけてきました。

 私は、石炭・化石が出る大夕張の地層に関心があったので、もちろん即座に賛同をしました。

 

 
 郷土研究部は人間(原初)の営みを調査するのに対し、地学部は太古に思いをめぐらすものです。まず行ったのは、地層の見方(観察方法)の勉強でした。

 

 地層の重なり方(土壌の違いや出土する化石等による年代推定)、連続・不連続・傾きを観察および測定するわけです。

 

  大夕張の様々な場所に行き(これは登山クラブと似ている)地層を観察し、スケッチをしました。

 この様な活動で地層の基本的見方を身につけて、次に行ったのが、大夕張と近在地域との「地層の比較」でした。

 
 休日は、夕張市や幾春別などに行き、調査および比較検討に明け暮れました。

 
 結論は

「近郊各地は大夕張の地層とかなりの類似が認められ、連続した地層と推定される。但し、大夕張はアンモナイトや貝の化石に対し、幾春別方面は木の葉が多いので、海と陸の違いがあったようだ。」

と記憶しています。

 

 この時の地学部の仲間は、この後も経験を積んで、連続した地層(職業)の上で身を立て、現在も活躍しています。私だけが、不連続の地層にいることを恥じ入るばかりです。

 

 

(2001年6月19日 記)

 


思い出ばなし

 

1件のコメント

  • 当時、大夕張は袋小路。
    境界を接する三笠は遠い街だった。
     
    「大夕張の山の裏側にあたる夕張市や幾春別」などという認識もなく、遥か西に聳える夕張岳の裏側の行ったこともない街『富良野』はどんなところだろうと、空想していた少年時代。

    さすがに高校生達は現実的に『大夕張の姿』を捉えようとしていた。
     
     

     

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