釘 かぎ裂き
先日、Kawauchiさんからメールでこんな話を聞いた。
今は聞かなくなったけど、私達の時代、家やりんご箱など釘があっちこっちに有って、男の子はよくズボンのお尻の所を引っ掛けて、かぎ裂きを作って親に怒られました。
釘を踏んだ 痛い経験も有ります。
大夕張では、二月に一回くらい、バイクも車も釘でパンクしていました。バイクにはパンク修理道具を積んでいて結構直しました。
ふとこんなこと思い出しました・・・。
この話を聞いて、そうだなあ、と思いだした。
「かぎ裂き」という言葉。
「家の板壁や、町の通りの柵や杭にも釘が使われていて、その釘の頭が出ていてよく引っかけることがあった」ということ。
念の為、「かぎ裂き」は、出ている釘の頭にズボンなど衣服を引っかけて、『レ』の字の形ように破れてしまうことを言う。
最近は、工事現場でないかぎりそんな場所はないし、そもそも立ち入り禁止だし・・・・普段の生活の中でも釘は見なくなった。
大夕張では、たしかによく釘をみた。
道路や空き地、町のあちこちで釘を見た。
特に頭が折れ曲がり、赤茶けて錆びた釘は、道によく落ちていた。
家の板壁が浮いて飛び出した釘や、木の杭が朽ちて裂け、そこから飛び出していた釘なども、住宅地のあちこちでみかけたような気がする。
そこに服やズボンに引っかけると確実に生地がさけ穴を開けることとなった。
服に穴を開け、母親の手を患わせることになるだけならまだいいが、時にはケガをした。
我が家でも、家の前の啓心寮のテニスコートで近所仲間数人とあそんでいた時に、弟が杭から出ていた釘に膝をぶつけて裂傷をを負い大騒ぎになった。
ふだん富士見町6丁目にあった家の横、高台のようなところ、3丁目に住んでいた時の沢向こうの土手の上。
いずれも山に続く平らな場所だったので、遊び場としてはもってこいだった。
ある時期、廃材などの鉄板や、ベニヤ板、棒などの木材がいたる所にころがっていた。子どもにとっては絶好の遊び道具の宝庫となった。
薄い板を互い違いに組んでブーメランのように大空に向かって飛ばしたこともある。適当な大きさの木材を拾ってきて手軽に工作の材料としたこともある。
そこは、実は住宅を取り壊した跡の空き地だったのだ。
住宅の跡地だから、思わぬところに穴があったり、板に打ち付けられた釘が空を向いていることもある。そこで、近所の◯◯くんが釘を踏み抜いたという話も聞いた。当時の子どもはゴム靴だったからいとも簡単に踏み抜いてしまう。
それでも魅力的な遊び場所だった。
住宅の取り壊された跡だったとはっりと意識したのは、実はずいぶんと後のことだった。
「ふるさと大夕張」で昭和30年頃の航空写真をみて、子どもの頃空き地だと思って遊んでいた場所には、びっしりと炭鉱住宅が建ち並んでいた。
今になって思えば、炭鉱全盛期で、住宅が一気に増えたあと、人口が減っていく炭鉱町の衰退を示す場所の一つだったのだろうけれど、当時はそんなことはまったく思ってもいなかった。
あぶないところで遊んでも自分だけはケガをしないと無邪気に信じていたのと同じように、他の炭鉱の閉山のニュースを聞いても大夕張だけは永遠に続くと信じていた。
(2023年6月9日 記)