タニシと鬼平こと長谷川平蔵 | 高橋正朝 #156
前回の続・大夕張つれづれ # 155〘 水溜りに棲んでいたタニシ? 〙の FB 版に、成田利夫さんと Masami Kawauchi さんが、タニシを煮て食べたことを書き込んでいました。 しかし、我が家ではタニシを食べたことはなかった。
タニシは旨いものらしいということは、何回か、本で読んだことがある。
記憶にあるのは、池波正太郎の小説、〘 鬼平犯科帳 〙です。 場面そのものは覚えていない。
ネギとタニシのヌタである。
大夕張時代の我が家では、ネギだけのヌタのこともあれば、ネギと茹でたイカの切り身のヌタのこともあった。 また、ネギとワカメのヌタのこともあった。
ハッキリした記憶ではないが、母親は、ヌタのことを、〘 酢味噌和え 〙と言っていた。
ウドが手に入る季節には、〘 ウドの酢味噌和え 〙があった。
〘 ウドのヌタ 〙という表現を母親がしていたかどうかは確信がない。 しかし、ネットでチェックしてみたら、〘 ウドのヌタ 〙という表現がちゃんとあった。 それからすると、母親は、酢味噌和えを、ときにはヌタて言ったりしたこともあったかもしれない。
明石町の購買会では、シジミやアサリが売られることはあまりなかったようである。
売られても、早い者勝ちですぐに売り切れただろう。 たま〜にアサリが手に入ると、そのむき身とネギとワカメで、〘 酢味噌和え 〙がつくられることがあった。
しかし、タニシを食べることがなかった我が家では、ネギとタニシのむき身のヌタを食べる機会があるわけはなかった。
池波正太郎の小説には、ときおり、食べ物の描写がでてくるが、小説の本筋ではないのでその部分は短い。
しかし、それを読んだだけで、同じものを食べたくなってくる。
ネギとタニシのヌタも、そのうちのひとつであるが、未だにその機会がない。
(2023年8月5日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:tkhsmstm@hotmail.co.jp
「ヌタ」・・・自分は「酢味噌和え」という言葉の方で覚えていた。
子どもの頃、フキや、ウドを自分で採りに山に入った。
フキはすぐにわかるが、ウドは似たような野草も多く、探し出すのが宝探しのようでもあり楽しかった。
とってきたウドやフキを母親に渡して、「酢味噌和え」で、食べるのが楽しみだった。
大夕張時代に食べたかどうか記憶はないが、山菜以外には、貝類、特に北寄貝やツブなどで辛味噌和えにするのが、美味しかった。
食べたことがある人によると、青ツブのヌタが、「タニシの酢味噌和え」に、味が近いらしい。
「ぬた」で検索すると、某サイトでは最近の人気は、
第一位・・・イカゲソとわかめのぬた
第二位・・・ひじきとタコのぬた
第三位・・・タコと青ネギのぬた
だそうだ。
メニューを見ていると、お酒を飲みたくなってくる人も多いのではないだろうか。