大夕張鉄道の鉄橋の途中の待避所 | 高橋正朝 #157

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 明石町から南部方面に向かうには、その道路工事が完成するまでは、大夕張鉄道の線路に沿って歩いた。

 線路の枕木に足をかけるには、子どもの脚の長さでは、枕木から枕木へと足を乗せられない。

 必ず、足を敷石である砕石を踏み込んだ。

    

 歩きにくいものの、道路がないのだから仕方がない。

 とは言うものの、線路の外側の砕石の積み込みが切れた外には、幅が 20〜30cm ぐらいの土のスペースがあり、そこを歩けばいいものを、そのスペースだけを歩くとつまらないからか、それとも子ども特有の気まぐれからか、歩きにくいのを承知で、線路の内側をも歩いたりした。

  

 線路の脇が土手だと、土手と鉄路の間に排水路が造られていた。

 雨や土手から流れ込む水の排水用だが、大量の水が流れ込むわけではない。

 だから、その排水路の勾配は緩やかである。

 また、当時のことだから、コンクリートなどを使った排水路でなく、土面がむき出しだった。

 それで、排水路の所々が少し深くなり、小さな小さな水溜まりになったりした。

  

 春になると、その水溜まりにカエルが卵を産み付けることがあった。

  

 遠く、夕張岳には雪がまだ見えた。

 数年後には埋め立てられる沢の日影にも雪が残っていた。

 雪は残っていたものの、大夕張の大部分には雪はとっくになかった。

 

 そういう4月の半ばぐらいのポカポカしたある日、明石町番外地の遊び仲間ではなかったが、鹿島東小学校3年生同学年2人と、南部方面に歩いて行った。

 今となっては、彼らの名前も顔も覚えていない。

  

 鉄路に沿って歩き、明石町から1つ目の鉄橋である香椎沢橋を渡り、2つ目の鉄橋、五十鈴沢橋を渡っているとき、南部方面から汽車が来た。

 

 鉄橋を渡る前、汽車がこちらに向かって来ている前兆はあったが、その汽車が来るのを待ち、それが通り過ぎるのがまどろっこしいと思った我々は、鉄橋を渡り始めた。

 どうせ、汽車か来る前に、我々が鉄橋を渡ってしまうだろうという浅はかなヨミがあった。

  

 案に相違し、遠方に汽車が見えた。

 線路の間に、歩行のための狭い板が敷かれていたが、慌てて走る必要はなかった。

 鉄橋には、2ヵ所、待避所か設けられてあったからである。

 我々は、1つ目の待避所には2人、他の待避所には1人が待避して、汽車が目の前を通り過ぎるのを待った。

  

 香椎沢橋と五十鈴沢橋には、それぞれ2ヵ所の待避所があった。

 広さは、タタミ半畳ぐらいの大きさで全て木で造られていた。

 それぞれの鉄橋の長さは、飯田さんが編集した資料〘 大夕張鉄道、沢と橋(山史より) 〙をみると、香椎沢橋は 89 m ちょっとで、五十鈴沢橋は、80 m ちょっとである。

  

 それぞれの待避所から下を見ると、かなりの深さの谷である。

 100 m 以上はあったのではなかろうか。

 待避所は木で造られて風雨にさらされており、汽車が通ったとき、どこか腐ったところが折れて、そこから墜落するのではないかと一抹の不安があったが、杞憂だった。

  

 旭沢橋の長さは 72 m ちょっととなっており、その鉄橋の待避所は1ヵ所だったと思う。

  

 東高校からの下校時、徒歩でこの旭沢橋を渡った人たちは結構いたハズである。

 だから、その待避所を見たり手で触った者もいただろう。

 もしかすると、わざと、その待避所に留まって、汽車が目前を通り過ぎるのを見物した者がいた可能性もある。

  

 それは、アナタだったりして ••••••。

  

 下記の写真は、例によって、飯田さんが編集したものをコピー。 写真の中央に見えるのが、待避所のようである。

 

  

旭沢橋梁を渡る列車と東高 

昭和45年 

(2023年8月12日 記)




(筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:tkhsmstm@hotmail.co.jp


2件のコメント

  • 東高からの帰りは、時間があるときは鹿島まで歩きました
    途中の旭沢橋梁も渡りました 汽車が来ての退避所も経験、下を見るとドキドキでした
    どういうつもりで渡ったのかは記憶にありません、が…
    今は高所恐怖症を自負する私です 川面までの距離は思い出しても恐ろしい感じです・・・

  • 線路を歩くときの感覚、枕木の間隔が微妙に歩幅に合わなくて砕石を踏むと痛かった、そんな感覚を久しぶりに思い出した。

     
    自分は昭和31年の早生まれだが、祖父母、親を含めて上の世代の人たちの話では、鉄橋を当たり前に渡っていたという話を聞いた。

    何十メートルも高さのあった鉄橋、下を見ると「こわかった」と一様に言うが、道路のなかった時代仕方がないところもあった。

    自分は、走る列車のデッキに立って崖の下の沢を見ただけで目がくらんだ。
    ちょうど道路が開通する前後の頃だ。

    歩いてわたるような機会がなくて幸いなことだった。
    (怖いつり橋はいたるところにあったけれど・・)

    そう思っていたら自分より下の年代の中には、自転車で鉄橋を渡った猛者がいたという話を聞いたことがある。
     
    本当にいろんな人がいて面白い。

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