竜田の沢(6号の沢)埋め立て工事

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昭和29年(1954年)

白黒写真に色付した画像
石炭貨車の間に立って作業する係員が四名程いるようだ。

 

大夕張と南部の間は数多くの谷によって隔てられ、石炭を積んで走った鉄道が住民の唯一の交通手段でもあり、生命線だった。

 

その谷にかかる橋の多くも昭和30年代、大夕張ダム建設と道路建設の工事により埋め立てられていった。

 

竜田の沢にかかっていた橋梁もその一つだった。

 

鉄橋を撤去し、線路は山側に20メートル移動。沢の流れは暗渠となった。

 

上の写真は、埋め立ての作業の様子を撮影した写真。

 

当時の貨車のホッパー開閉は人力なので、 貨車につかまり作業している人たちが数人見える。

 

右手にうつる機関車は9200形。

土石を吐き出す三菱マークの入った貨車は、三菱芦別専用鉄道からの借入だったという。

 

工事は、昭和29年(1954年)5月に開始され、11月に完成した。

   

   

これより二年前、旭沢橋梁(五号橋梁)と並んで、すでに明石橋が1952(昭和27)年に完成していた。

  

竜田の沢埋め立て工事により、大夕張から明石町への交通が可能となった。

 

その後、昭和31年(1956年)9月には、山内線が開通し、バスが走るようになる。

   

かつて常盤町からみると、シューパロ川対岸の切り取られた二つの崖のあいだに埋めたてられてできた道路の上を、バスが砂埃を上げながら走っていくのがよくみえたものである。


下の写真、沢が3本見える。

左(南側)から、旭沢、竜田の沢、千歳沢。

 

昭和22年と昭和52年の比較写真。

昭和22年に写る沢が、昭和52年の写真では埋め立てられた跡がわかる。

(昭和22年)
(昭和52年)

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