ソニー(SONY)号空飛ぶ冒険
ソニー号について、初めてその名を聞いたのは、もちろん大夕張にいたときではなくて、2001年頃に内川さんから、大夕張上空を周回するその映像を見せていただいたときだった。
いきなり画面タイトルに「ソニー号来校」と出てくるから、これはもう、昭和34年(1959年)に「ソニー号」はいた!?
当時3歳、当然、「ソニー号」は知らない。
2001年頃、「ソニー号」のタイトルを見て、てっきりSONYのPR用ヘリか何かだろうと思っていたくらいだった。
あるとき、寺田牧夫さんから、「ふるさと大夕張」の掲示板に次のような投稿があった。
「SONY号の冒険」【寺田牧夫】2001年10月08日(月)
昔昭和30年代前半にテレビで「ソニー号の冒険」というアメリカのドラマがあり、その主人公が「SONY号」というヘリコプターでした。
いわゆる「森林警備、レスキュー」もので、遭難した人を助けたり、密猟者を捕まえたりする一回ごとのシリーズだったと思います。
当時トランジスタラジオでエポックを起こした日本のメーカーの「SONY」との関係は実は定かで無いのですが、日本国内の放送のスポンサーはSONYでした。
このシリーズがヒットしたので「SONY号」が来日し、キャンペーンで全国を回った記憶があり、私も見に行ったと思います。
全国的に大変な人気で、多くの見学者が集まりました。
きっと抽選による体験乗車(?)などもあったのでしょうね。
当時珍しかったヘリコプターを身近に見るチャンスなんてめったにありませんでしたから。
たしかベル○○型と言ったと思いますが、銀色のボディに大きく書かれた「SONY」のロゴがかっこよかった
ものです。
「エース・オー・エヌ・ワーイ、ソニー」なんてテーマ曲の一節を思い出しました。
そうそうプラモデルも作りました。
これを読んで初めて合点がいったのだった。
そういえば,あった、ヘリコプターが活躍していたテレビ番組。「ソニー号」は知らなくても、その映像は記憶の中にあった。
2001年当時は調べてもあまり情報はなかったが、2023年現在、ソニー号で検索すると結構な数の情報に行き当たる。
1957年製作のテレビドラマで1957年9月11日から1959年9月1日まで、KRT(今のTBS)系列で放送されたそうだ。
リアルタイムで見ていたとすれば、1歳から4歳ころの記憶ということになる。
それでも覚えていたというのは、ヘリが主役で飛び回るドラマは当時珍しかったからからだろう。
当時ヘリコプターの絵を包装紙の裏などを利用してよく描いていたことがある。おそらくこのドラマの影響だろう。
「ソニー号空飛ぶ冒険」というのが、日本で付けられたTV番組のタイトルだった。
原題はWhirlybirds、日本ではソニー1社がスポンサーだったためソニー号と名付けられてしまったらしい。
アテレコも、主題歌もソニー号になった。
そんな事情で、テレビ番組では機体に「SONY号」とは書かれていなかったらしいが、鹿島小学校グラウンドに表れた機体前面には、「SO」の文字、おそらく反対側まで回り込めば「SONY」と読めたのだろう。
テレビドラマで、当時有名だった「ソニー号」。
寺田さんが書いているように、全国展開のキャンペーンの一つしてやってきたのだろう。
「テレビでも大活躍の、あのソニー号が大夕張にやってくる!」
そんな宣伝効果がきいて、鹿島小学校の校庭には大勢の見物の人達が集まった。
当時、鹿島小学校の中村先生が8mm映写機の扱いが堪能だったということで、白羽の矢が立ったという。
そうして昭和34年(1969年)の大夕張を上空から捉えた貴重な映像が、残されることになった。