番傘と傘骨の弓 | 高橋正朝 #160

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 大夕張時代、私が鹿島東小学校や鹿島中学校に通う時間は、およそ1時間かかった。

 開拓からそれぞれの学校に通っていた人は、もっと時間がかかった。

 

    

 春日町から鹿島小学校に通うのはともかく、鹿島中学校に通う生徒も1時間をこえていただろう。

 徒歩通学だから、都会に住む少年少女たちより長距離を歩くわけだが、辛いと思うことはなかった。

  

 私にとっては、しばれる雪の日より、雨の日のほうが難儀だった。 辛くはなかったが、服が濡れるのがイヤだったからだ。

  

 

 私がコウモリ傘を使うようになったのは、鹿島東小学校の3年生の1学期のころで、たぶん、6月だったと思う。

 北海道には梅雨はないとされてはいるものの、やはり、6月は雨降りが多かった。

  

 当時、小学校の低学年児は、雨の日は、カッパを着て登校するのが普通だった。 私も同様で、雨降りのときは雨ガッパを着て登校した。

   

 初めてコウモリ傘をさして登校したときは、少し大人の気分になった。

  

 コウモリ傘だと、突風が吹くと、傘を風に持ってかれたり、傘がオチョコになったりした。

 この傘の覆いがオチョコになることを、別な表現があったような気がして、ネットでチェックしてみたら、〘 裏返しになる 〙〘 ひっくり返る 〙などの表現があった。

 いずれの言葉も、私の大夕張時代には適宜使い、一つの表現に固定していなかったような気がする。

   

 クラスには、4〜5人ぐらい番傘をさしてくる児童もいた。

 私が4年生になったときは、番傘をさしてくる児童はいなくなった。 コウモリ傘をさしてくる児童が大半で、雨ガッパを着てくる児童もわりといた。

   

 身体が、雨に濡れるのを避けるには雨ガッパは大変有効だが、顔が濡れるのが欠点なのは、皆さんご存知のとおり。

 特に、メガネをかける人にとっては、雨ガッパは不人気だった。

 雨ガッパを着て傘をさせばいいのだが、両方を具備した人を、大夕張時代の私は見たことはなかった。

 

    

 大人になってから、雨ガッパというか、レインコートを着て傘をさす人をたま〜に見たことはある。

 その場合は、いずれも女性だった。

   

 番傘は、小学校の高学年には、大夕張ではほとんど見かけなくなった。 現在の日本では、インテリアとして見かけるだけで、実用に供されてはいない。

    

 小学生時代、使えなくなった番傘は、我々少年には結構人気があった。

 当時の少年はご存知のことだが、番傘をほぐし、骨に使っていた竹材で弓を作った。

 矢も、やはり番傘の傘骨だ。 だから、遠くまで飛ばすことはできないが、オモチャ作りを楽しんだわけだ。

    

 例によって、名前も顔も思い出せないが、器用な遊び仲間が、番傘の傘骨で、見ごとな虫カゴを作った。 虫カゴには、上下にスライドする戸を拵えていた。 それを見た我々は、しきりに感心した。

    

 我々の少年時代は、工作に使う工具なんて持っている者は皆無だった。 虫カゴを作った少年は、肥後守だけで虫カゴを作ったということなので、二重に感心した。

    (2023年9月2日 記)




(筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:taka-jp@outlook.com  (メール宛先変更になりました)


2件のコメント

  • 私も煩雑なので元号は使いません。なので、現在が令和何年か時々わからなくなります。 (^^♪ 
    元号を西暦に換算するときは、「令和(18)やや(88)ニコッと(25)いい(11)耳(▲33)」と覚えて足算します。
    令和、平成、昭和、大正、明治の順に並べた語呂合わせです。最後の明治だけ引き算になるのが残念なところですが・・
    これは私の発案ではなく、数年前、道新の「読者の声」欄で見つけたものです。(^^)/
    期間でものを考えるときに大変役立ちます。お勧めします。(説明は言葉足らずですがご勘弁。)

  • 雨の降る日に差す傘は、「こうもり傘」。みな黒かった。
    黒くない傘は、日傘と幼いアタマでは認識していた。

    いつからか傘も色とりどりにファッションの一つとなった。
    子どもの頃、祖父の物置で見た「番傘」は、いつしか職場の忘年会の景品の一つとなり、我が家にやってきた。
      
    何某かのサイトで、「こうもり傘」は死語と書かれていた。
    同じく「とっくりセーター」もその仲間に入れられていた。
     
    これらの言葉を聞くと、使っていた親の顔が浮かぶ。
    昭和の時代家庭で日常的に使われていた。

    今は昭和から平成をはさんで令和。
    自分が生れた昭和からみて、祖父母の生れた明治は遠かった。
      
    そんな感覚なのだろうか・・・。

    だから今を語る時は、元号を使うのは止めた(笑)
     

     

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